小学校 社会科クイズ

(9)明治の国づくりを進めた人々(6年生)


Q1

江戸時代から明治時代に変わるとき,どのようなことがあったのか,次の(1)にあてはまる人物名を,(2)には言葉を書きましょう。
 1853年,アメリカの使者(1)     来航らいこうし,大統領から幕府に開国を求める手紙を渡しました。(1)     の強い態度におどろいた幕府は,翌年よくねん(2)     条約を結び,アメリカと国交を開きました。



答え

(1)ペリー (2)日米和親条約にちべいわしんじょうやく


解説

江戸時代の終わりごろには,何度か大きなききんが起こりました。また,物価が上がり各地で一揆いっきや打ちこわしがあって,人々は幕府や各地のはんへの批判を高めていました。こうして人々は新しい政治について考えるようになってきました。そうしたなかで,ペリーの来航がありました。


Q2

明治維新いしんの改革を進めた3人の人物は,だれでしょうか



答え

大久保おおくぼ利通としみち  西郷さいごう隆盛たかもり  木戸きど孝允たかよし


解説

大久保と西郷は今の鹿児島かごしま県にあたる薩摩さつま藩の,木戸は今の山口やまぐち県にあたる長州ちょうしゅう藩の出身でした。二つの藩では新しい政治を求める動きが出ていました。


Q3

明治時代に入り,都市部を中心に生活や文化も大きく変化していきました。洋服を着る人がふえたり,ガス灯がついたりしました。こうした様子を何と言いますか。 4文字の漢字で答えましょう。



答え

文明開化


解説

ガス灯や服装だけでなく,鉄道が開通かいつうし一部では食事も変わりつつありました。しかし,こうした動きは農山村や漁村では見られませんでした。


Q4

明治維新いしんの改革は,政府が中心になって進めました。国民は政府のやり方に従うものとされていました。しかし,国民も政治に参加することを求める動きがでてきました。こうした運動を何と言いましたか。4文字の漢字で答えましょう。
     運動



答え

自由民権運動


解説

明治時代に入り政府による改革が進みました。しかし,多くの士族しぞくは武士としての収入を失い生活にこまるようになりました。人々は,社会に起きたさまざまな問題を自分たちも政治に参加して解決していこうというように考えるようになりました。


Q5

明治時代にはじめてつくられた憲法けんぽうを何といいますか(1)。また,それを中心になって進めて人物はだれでしょうか(2)
(1)      (2)      



答え

(1)大日本だいにっぽん帝国ていこく憲法けんぽう  (2)伊藤いとう博文ひろぶみ


解説

憲法がつくられ,議会が開かれるようになりました。しかし,議員の選挙は一定の税金ぜいきんおさめた人に限られていました。現在の国会議事堂の中央には,昭和13年(1938年)に大日本帝国憲法発布50年を記念きねんして作られた,板垣退助いたがきたいすけ大隈重信おおくましげのぶ,伊藤博文の3人の銅像どうぞうかれ,議会政治の基礎をつくるのに努力したことをたたえています。


Q6

明治時代のはじめごろに,「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」で始まる本を書いた人は,だれでしょうか。



答え

福沢ふくざわ諭吉ゆきち


解説

この本は「学問のすゝめ」といい,人間は生まれながらにして平等であること,一国の独立は個人の独立にもとづくこと,個人の独立には学問が必要なことなどが書かれています。当時の知識人を中心に読まれ,340万部以上売れたといわれています。


Q7

明治めいじ維新いしんの改革を進めるきっかけとなったのは,ある外国人が今の神奈川かながわ県へ来航したことでした。この人はどこの国のだれでしょうか。



答え

アメリカ合衆国がっしゅうこくのペリー


解説

1853年,アメリカ合衆国のペリーは,大統領の使者として手紙を渡しにきました。その内容は,日本に開国をすすめるものでした。軍艦ぐんかん4せきを率いて現在の神奈川かながわ浦賀うらがにあらわれ,たいほうを打ち,大統領の手紙を受け取らせました。翌年よくねん1854年,日米和親条約わしんじょうやくが結ばれ国交が開かれました。


Q8

江戸えど時代の大名だいみょう領地りょうちであるはんは,明治政府によって天皇に返させました。全国は府と県に分けられました。こうした政策せいさくを何といいますか。



答え

廃藩置県はいはんちけん


解説

1871年,明治政府は全国を3府と72県に分けました。府には府知事を,県には県令を派遣はけんして治めさせました。政府の力が強まり,国の体制が整っていきました。現在の北海道ほっかいどう開拓使かいたくしが治めていましたが,1886年に北海道庁が置かれるようになりました。


Q9

明治時代に入り,新しい政府は,近代的な国をつくろうと工業力と軍事力を強くすることを中心とした政治を行いました。こうした政策を何といいますか。



答え

富国ふこく強兵きょうへい


解説

明治の新しい政府ができると,政府の中心となった大久保おおくぼ利通としみつ木戸きど孝允たかよしらは,ヨーロッパの国々に追いつくために,工業をさかんにし強い軍隊をもつことに力を入れました。国が運営する製糸,紡績ぼうせき,兵器などの工場が建設されました。また,近代的な軍隊をもとうと20才になった男子には軍隊に入ることを義務づけました。


Q10

次の年表は,明治時代のはじめのころのできごとをあらわしたものです。     にあてはまる年代とことばを入れましょう。



答え

(1)1868年  (2)学制  (3)地租ちそ


解説

明治の新しい世の中になり,社会やくらしは大きく変わりました。Q1からQ9の問題をふりかえりながら,変化したことがらを教科書の巻末にある年表を使って整理してみましょう。また,新しく始まった,事始めを年表にまとめてみましょう。


Q11

明治めいじ天皇の名で新しい政治の方針ほうしんを定めたものを何とよんでいましたか。



答え

箇条かじょう御誓文ごせいもん


解説

1868年に明治天皇の名で定められました。5つの内容からなっています。やさしい言葉で説明しますと次のようになります。
(1)政治のことは会議を開いてみんなで決めよう。
(2)みんなが心を合わせて政策せいさくをおこなおう。
(3)みんなの志がかなえられるようにしよう。
(4)これまでのよくないしきたりを改めよう。
(5)新しい知識を世界に学び,国を栄えさせよう。


Q12

明治めいじの新しい時代になってさまざまな改革かいかくが進みましたが,多くの士族しぞくは収入を失い,民衆みんしゅうの生活もなかなか楽にならず,反乱はんらんが各地で起こりました。西郷さいごう隆盛たかもりらが起こした反乱は,なんとよばれましたか。



答え

西南せいなん戦争


解説

西郷隆盛は,薩摩さつま,今の鹿児島かごしま県の出身でした。明治に入っての新しい改革は,武士としての収入を失った士族にとっては生活にこまる結果をもたらし,反乱のもとになりました。1877年の西南戦争は,政府軍によってしずめられました。これ以降は武力による反乱はなくなり,言論げんろんで主張する世の中へと変わっていきました。






社会科クイズ トップページへ
このページの先頭へ