小学校 社会科クイズ

(7)江戸幕府と政治の安定(6年生)


Q1

次の年表は,だれの歩みをあらわしていますか。



答え

徳川とくがわ家康いえやす


解説

信長,秀吉,家康の三人は,おなじころに戦国の世から全国統一をめざしてきました。そして,家康は征夷大将軍に任じられて江戸に幕府を開き,その後徳川氏が長い間幕府を引きつぐことになりました。


Q2

徳川の3代将軍となった家光いえみつは,武家ぶけ諸法度しょはっとという決まりで,大名は自分の妻子を人質に江戸の屋敷に住まわせ,大勢の家来を連れて自分の領地と江戸を行き来するようにさせました。この決まりを何とよんでいましたか。



答え

参勤さんきん交代こうたい


解説

大名が治めるはんは,参勤交代や江戸での生活に多くの費用が必要になり,重い負担ふたんとなりました。いっぽうで参勤交代に使われる費用によって江戸や街道ぞいの宿場しゅくば町は栄えました。


Q3

徳川とくがわ家康いえやすがまつられている建物は,何といいますか。



答え

日光にっこう東照宮とうしょうぐう


解説

江戸幕府のもと,3代将軍しょうぐんとなった家光いえみつは,日光東照宮を建て直しました。東照宮は江戸の守り神でもあって,ばくだいな費用と多くの人を使ったといわれています。このなかで特に有名な陽明門ようめいもんは,世界文化遺産いさんに登録されています。


Q4

江戸えど幕府ばくふによって定められた,大名だいみょうを取りしまる決まりは何とよばれていましたか。



答え

武家ぶけ諸法度しょはっと


解説

武家諸法度という決まりには,次のようなことが定められていました。
(1)大名は毎年4月に参勤交代をすること。なるべく人数を少なくすること。
(2)自分の領地のしろを修理する場合,とどけ出ること。
(3)将軍の許しなしに,大名の家どうしで結婚けっこんしてはならないこと。
(4)大きな船をつくってはいけないこと。


Q5

江戸えど幕府ばくふは,外国との貿易や交渉こうしょうを行う場所をきびしく制限しました。こうした政策は何とよばれましたか。



答え

鎖国さこく


解説

江戸幕府は,初めのころは外国との貿易をさかんにしようとしていました。貿易がさかんになり,東南アジアには日本人町がつくられ,貿易船に乗ってキリスト教の宣教師せんきょうしがやってくるようになりました。キリスト教の信者が増えると,神への信仰しんこうを重んじて幕府の命令に従わなくなることをおそれて,キリスト教を禁止し外国人とこうしょうをもつことを禁じようとしました。


Q6

江戸えど幕府ばくふができた後,外国との貿易や交渉こうしょうを行う場所をきびしく制限しました。しかし,今の長崎ながさき県の一部の場所にかぎって許されていました。ここは何とよばれましたか。



答え

出島でじま


解説

キリスト教がきびしく取りしまられました。貿易の相手はキリスト教を広めるおそれのないオランダと中国にかぎられました。また,長崎市の港には出島でじまといううめ立て地や唐人とうじん(中国人)やしきがつくられ,外国との貿易は役人や一部の商人だけしか許されませんでした。


Q7

江戸えど時代の社会では,身分によって職業や住む場所などが決められました。武士も身分の一つですが,いちばん多くをしめた身分は何ですか。



答え

百姓ひゃくしょう


解説

江戸時代の人口の約80%以上は,百姓という身分の人でしめられていました。百姓は,農山村や漁村に住み,農林業や漁業などを営み,米などの農産物や水産物をつくりくらしていました。百姓は名主なぬし庄屋しょうや)を中心にして,自分たちで村を運営していました。


Q8

江戸えど時代の大名は,三つに分けて各地に配置されていました。その三つとは,ざまだいのほかに何ですか。



答え

親藩しんぱん


解説

外様とは,関ヶ原せきがはらの戦い後に徳川とくがわ家に従った大名です。譜代とは,古くからの徳川家の家来の大名です。そして親藩は,徳川家の親せきの大名です。そして,それぞれの大名をくふうして全国に配置しました。



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