沖縄県
県章:
  沖縄 県の頭文字「O」を基に,外円で海洋と人の和を,内円で発展性を図案化した。
面積:
  2,276.72(km2)
人口:
  1,437,994
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
  デイゴ
リュウキュウマツ
ノグチゲラ
タカサゴ
地図

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[1]県名の由来
 「沖縄」が沖縄全域を表すことばとして公的に使われるようになった のは,1879年の琉球処分によって沖縄県が設置されて以後のことです。それまでは,沖縄全域(一時期奄美(あまみ)諸島も 含む)をさすことばとしては中国の文献などで「琉球(りゅうきゅう)」が使われていて,「沖縄」というのは,沖縄島に対する 呼び方でした(方言名はウチナー)。しかし,太平洋戦争後,アメリカ軍の施政権下(しせいけんか)におかれた沖縄では,アメ リカ軍政府の日本と沖縄を切り離す政策により,さかんに「琉球」ということばが使われだしました。しかし,1972年の日本 復帰によって再び「沖縄県」となって現在にいたっています。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 太平洋戦争後,対日平和条約第3条により,北緯29度線以南の南西 諸島が米施政下におかれました(これはかつての琉球王国全盛時代の範囲と同じ)。その後,1953年の奄美諸島の日本復帰に より,与論(よろん)島と沖縄島間の北緯27度が新たな国境線になりました。沖縄返還を求める海上集会が27度線海上で日本 復帰の年まで開かれました。

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[3]沖縄県の位置
 沖縄県は日本列島の最南西端に位置します。沖縄島を中心にみると東 京とほぼ等距離(約1,500q)に,ピョンヤン,ホンコン,マニラがあります。更に最西端の与那国(よなくに)島からは晴 れた日には,台湾が見えることもあります。まさに日本の南に開かれた玄関口です。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 沖縄県の県庁所在地那覇は,沖縄島の南部西岸,東シナ海に面して位 置します。那覇(なは)は,琉球王国時代の都首里(しゅり)の港町として発達。1879年の琉球処分の際に県庁が那覇におか れたことにより,政治の中心が首里から那覇に移り県都になり栄えました。沖縄戦で壊滅的な打撃を受けましたが,戦後,復興が 徐々になされ,1947年に沖縄民政府(1952年から琉球政府へ)が移されてから首都としての機能の復活が始まりました。 復帰により,琉球政府庁舎が沖縄県庁舎になりました。人口;302,035人,世帯数;112,546(1999年6月現 在)。

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[5]なんでもお国自慢
 沖縄には5つの顔があるといわれています。それは,「島」「亜熱 帯」「琉球王国」「沖縄戦」「軍事基地」の顔です。その中で「島」・「亜熱帯」「琉球王国」の3つの顔をみてみましょう。 「島」の顔としては,大小,高島・低島,様々なタイプの70余の島々の多さと東西1,000q,南北400qの広大な海域の 広がりが,島の数と同じくらい方言があるといわれるように,多様な文化を育(はぐく)んできました。2つめの「亜熱帯」の顔 は,他府県では見られない世界有数規模の裾礁(きょしょう)タイプのサンゴ礁などの景観を生かした観光業(入域数412万 人:1998年),温暖な気候を利用した農業(マンゴー,パイナップル,サトウキビ栽培など)です。亜熱帯の原生林が残り, 動植物の宝庫の西表(いりおもて)島や沖縄島北部は近年エコツーリズムの拠点として脚光を浴びています。3つめの「琉球王 国」の顔としては,14世紀頃に築城されたといわれる首里城(現在のものは1992年に復元)を代表に,世界遺産に登録され た数々のグスクや建造物,紅型(びんがた)・芭蕉布(ばしょうふ)などの伝統工芸や独自の文化があります。琉球舞踊等伝統芸 能もさかんで,小中学校の運動会では三味線の音色にのってエイサーが勇壮に行われ,若者にも確実に受け継がれています。

 


   

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