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鹿児島は古くは麑島とも記されています。由来については,「海幸山
幸神話」にもとづくとか,鹿の子が多かったという伝承等がありますが,桜島の古名とするのが妥当のようです。鹿児島という地
名が初めて文献に現れるのは『続日本紀(しょくにほんぎ)』(8世紀後半)です。桜島のことを指していた地名が,次第に拡大
され,対岸の鹿児島湾北岸を指すようになり,中心地であった鹿児島市の地名,そして県名としても使われるようになったので
す。
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現在の鹿児島県の成立には,旧薩摩(さつま)藩領が大きく関係して
おり,宮崎・沖縄両県の成立とも絡(から)んでいます。版籍奉還(はんせきほうかん)後の鹿児島県は,旧薩摩藩の領域をその
まま継承して,薩摩・大隅(おおすみ)の二国のほか,日向(ひゅうが)国諸県郡と奄美(あまみ)諸島を直轄し,さらに琉球国
を付属していました。しかし,7県あったこの地域の県は廃藩置県(はいはんちけん)後,時をおかずして統合され,鹿児島・都
城(みやこのじょう)・美々津(みみつ)の3県になります。その後,3県の間での分割・移譲や都城・美々津県の廃止と宮崎県
の新設をへて現在にいたっています。この間,琉球は鹿児島県から分離し,1609(慶長14)年から続いた琉球支配から脱却
しました。また,奄美諸島は慶長(けいちょう)の役以来,琉球から分割されて薩摩藩の直轄領となり,明治以降も大島郡として
鹿児島県の所管となりました。黒糖の収益は魅力だったのでしょう。太平洋戦争後は,北緯30度以南の鹿児島県が米軍の軍政下
におかれますが,1953年に鹿児島県に復帰しました。
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本土の最南端に位置し,南方には南西諸島の島々を抱き,まさに「海
と島」の国です。古来,日本の南の門戸として遣唐使(けんとうし)や遣明船(けんみんせん)や倭寇(わこう)の利用する重要
な交通路でもありました。県庁所在地の鹿児島市は北緯32度線上に位置しますが,アメリカでは鹿児島県と姉妹盟約を結んでい
る南部のジョージア州がほぼ同緯度。ジョージア州といえば「風と共に去りぬ」の舞台。南北戦争の時期です。南北戦争の約10
年後,鹿児島では西南戦争が。位置と同時に歴史上の類似点です。また,南緯32度線上にはオーストラリアの西海岸の中心都市
パース市があります。パース市とは鹿児島市が姉妹都市盟約を結んでいます。
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県庁所在地は鹿児島市。島津氏の居城である鶴丸(つるまる)城が築
かれ(1602年),その城下町として発展してきました。廃藩置県により県庁が,城下の山下町に置かれ,藩主島津忠義(しま
ずただよし)は東京へ移り,鶴丸城も廃されました。征韓論(せいかんろん)に敗れて帰郷した西郷隆盛(さいごうたかもり)が
設立した私学校は,鶴丸城の厩(うまや)跡だったところです。西南戦争で劣勢となり退却した西郷軍がこもったのは,鶴丸城の
裏手にある城山。西郷が自刃(じじん)したとされる洞くつも残されています。
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鹿児島県の日本一,いくつか紹介しておきましょう。「薩摩の黒豚」
として有名な豚の飼育頭数は日本一,おもに肝属(きもつき)郡や曽於(そお)郡・鹿屋(かのや)市など,大隅半島が中心で
す。ほかにも肉牛やブロイラーの生産もさかんで,「畜産王国」と呼ばれるゆえんです。畜産とならんで有名なのは甘しょ,さつ
まいもと呼ばれているくらいですから。意外なところでは竹,鹿児島県は竹林面積,竹材生産量も日本一なのです。最後に,離島
面積日本一。日本海・東シナ海・太平洋の3つの海に囲まれ,南の海上には,世界遺産の島である屋久(やく)島をはじめ,奄美
大島や種子島(たねがしま)など,大小の多くの島々が点在しています。
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