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熊本県の「熊本」は古くは「隈本」と書かれていました。最も古い記
録では1352(文和元)年の古文書の中に見ることができます。この「隈本」の名は加藤清正(きよまさ)が熊本城を築く
1607(慶長12)年まで用いられています。「隈本」を「熊本」と改めたのは加藤清正が隈の文字がこざとへんに畏(おそれ
る)と書くので,畏の字をきらって「熊」と改めたと伝えられます。江戸時代には,熊本藩とよばれ明治維新を迎えました。
1871(明治4)年の廃藩置県’(はいはんちけん)により,熊本藩領を引き継ぐ「熊本県」と人吉(ひとよし)藩領地を引き
継ぐ「人吉県」が生まれました。長崎県から編入された天草地方を含め,人吉県はその後新設された「八代(やつしろ)県」に入
りました。また,「熊本県」は明治5年に県庁が白川の近くに移転したことにより「白川県」と名前を変えました。さらに,明治
6年には八代県を合わせて「白川県」となりました。この時点で現在の熊本県と同じ県域となっています。その後県庁を再び熊本
城下に移し(熊本城内古城),県名も再び「熊本県」となり,現在にいたっています。
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九州地方のほぼ中央に位置し,東京から1,072km,大韓民国の
首都ソウルから東南の方向に631kmのところにあります。
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熊本県の県庁は最初熊本城下の花畑邸におかれ,続いて熊本城内の二
の丸に移されました。その後,白川近くの二本木に県庁が移されると県名も「白川県」と変わりました。また,再び県庁が旧熊本
城内の古城に移されると県名も「熊本県」に戻されました。このように「熊本県」の名称はその県庁の所在地により変化したこと
が分かります。その後,県庁は1876(明治9)年に熊本市南千反畑町(現白川公園)に移されましたが,第二次世界大戦時の
空襲により消失しました。昭和42年より現在の熊本市水前寺6丁目に移っています。
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[熊本の自然]
熊本県の面積は7,403km2で全国15位の広さです。県内には世界有数のカルデラをもつ阿蘇 (あそ)を含む「阿蘇くじゅう国立公園」,大小120の島々からなる「雲仙天草(うんぜんあまくさ)国立公園」と2つの国立 公園があります。また,熊本は水の豊かなところで人口65万人の熊本市の上水道もほぼ100%地下水でまかなわれています。 全国的にも珍しいケースです。海の方で神秘的といえば海上に点滅(てんめつ)する八代海の「不知火(しらぬい)」が有名で す。 [熊本の産業] 何といっても農業と水産業です。農産物で全国1位の生産をあげているものとしては,いぐさ,すいか,メロン,トマト,ミニ トマト,甘夏みかん,デコポンがあります。また,水産物としては,クルマエビ,養殖トラフグなどがあります。 [歴史遺産,史跡,人物] 熊本には全国の約4割を占める装飾古墳(そうしょくこふん)が集中し,古代の文化の独自性を示すとともに,二重橋や日本橋 で有名な「肥後の石工」がかけたとされる約270基の石橋があります。また,歴史上の人物としては熊本城を築いた加藤清正, 蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)を残したとされる竹崎季長(すえなが),天草・島原一揆(いっき)の天草四郎,通 潤橋(つうじゅんきょう)をかけた布田保之助(ふたやすのすけ),幕末の思想家横井小楠(よこいしょうなん),世界的細菌学 者北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)などが有名です。 |
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