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「なら」とは諸説がありますが,草木を踏みならし平らにするという
意味からきたと考えられています。古代以来,楢(なら)・寧楽・乃楽・那羅・平城などの文字があてられてきました。
県名の由来は,平安時代から鎌倉時代にかけて東大寺や興福寺(こうふくじ)の門前町として「奈良町」が生まれ,江戸時代に は幕府の奉行所(ぶぎょうしょ)が置かれて政治の中心地になったことにあります。明治になって県名をつけるときそれをとった ものです。 |
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1868(明治元)年5月奈良県が置かれました。その後,奈良府,
奈良県とめまぐるしく名を変えました。奈良県といっても旧幕府領と寺社領は編入されましたが,藩領や十津川郷はのぞくもので
した。1870(明治3)年2月に,奈良県の字智,吉野郡と堺県の錦部,石川両郡をあわせて五條(ごじょう)県が成立しまし
た。また,十津川郷は,同年5月に五條県に組み込まれました。1871(明治4)年の廃藩置県(はいはんちけん)により大和
の郡山・高取・小泉・櫛羅(くじら)・芝村・柳生・柳本・田原,本県と飛地のあった和歌山・津・久居・大多喜壬生の各藩がそ
れぞれ県名をとなえることになりました。そして,同年11月大和全域を管轄する奈良県が成立しました。しかし,1876(明
治9)年4月に府県の統廃合が行われ,奈良県は堺県に組み込まれ,1881(明治14)年2月には,大阪府に編入されまし
た。その後,同年12月に地方税の支出が奈良には少ないという不満をきっかけとして,奈良県再設置運動が始まりました。そし
て,6年後の1887(明治20)年大阪府から分離して再び奈良県の誕生を迎えることができました。
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奈良県は,東西78.5km,南北103.6kmと南北に長めの長
方形の県です。日本のほぼ中央部,紀伊半島の真ん中にあり,大阪府,京都府,和歌山県,三重県に囲まれて海のない内陸県で
す。
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県庁は,京都府に接する北部に位置しています。1871年に大和全
域を所管とする奈良県が成立した時の県庁は,興福寺一乗院におかれました。1887年に奈良県が再設置された時は,奈良公園
内の旧寧楽(ねいらく)書院が県庁舎になりました。
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文化財 奈良・斑鳩(いかるが)をはじめとする各地の古社寺には,
各時代を代表する仏像や建築物が数多くあり,国宝,重要文化財の数は,東京・京都についで全国3位で,国宝建築物の数は全国
1位です。また,法隆寺・東大寺・興福寺・春日大社(かすがたいしゃ)・元興寺(がんごうじ)・薬師寺・唐招提寺(とうしょ
うだいじ)・平城宮跡・春日山原始林(かすがやまげんしりん/天然記念物として)がユネスコから世界遺産として指定されまし
た。
林業 奈良県は,総面積の77%が森林であり,その半数以上がスギ・ヒノキで占められています。中でも「吉野スギ」は有名 です。 農産物の生産量 柿(全国第2位),お茶,うめ(同5位),イチゴ(同15位)(平成10年度) 生薬栽培 奈良県では,古来から薬用植物が栽培されてきました。現在でも伝統ある優良な種苗が維持されています。東大寺の 正倉院には,当時のくすりが納められています。 人物 富本憲吉(とみもとけんきち/陶芸家),西光万吉(さいこうまんきち)・阪本清一郎(さかもとせいいちろう/全国水 平社創立の中心となる),棚田嘉一郎(平城宮跡の保存に力をつくす),戸倉庄三郎(植林の大切さを全国に広めた)が有名。 |
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