愛知県
県章:
  「あ いち」の文字を図案化し,太平洋に面した県の海外発展性,希望に満ちた旭日波 頭を表す。
面積:
  5,165.16(km2)
人口:
  7,462,800
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
  カキツバタ
ハナノキ
コノハズク
クルマエビ
地図

mark1
[1]県名の由来
 「桜田へ鶴(たず)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干(しおひ) にけらし鶴鳴き渡る」と,万葉集にうたわれた「あゆち」が古代の国郡の尾張(おわり)国愛智郡の呼称になりました。愛知とい う表記は鎌倉時代のころから使われ始め,愛智とともに使われていましたが,江戸時代末期には愛知の表記が使われるようになり ました。この郡名が愛知県の県名の由来です。

mark2
[2]境界線の策定にまつわる話
 愛知県が成立するまでには目まぐるしい変遷(へんせん)がありまし た。三河(みかわ)では旧幕府領・旗本知行所・寺社領を管理するために置かれていた三河裁判所は,1868(明治元)年に三 河県に,同2年に伊那県と改称。また,明治4年7月に版籍奉還で尾張に2県,三河に10県が置かれました。いずれも旧藩がそ のまま県に変わっただけです。11月には名古屋県と犬山県を統合して名古屋県とし,三河では10月に伊那県からもどされた旧 三河裁判所を加えて額田(ぬかた)県となりました。美濃にあった尾張藩領などは整理され,木曽川を県境としました。 1872(明治5)年には名古屋県を愛知県と改称し,額田県が愛知県に統合されて愛知県が成立しました。
 愛知県は明治5年以降,ほぼそのままの区域で現在にいたっています。明治13年及び20年に伊勢・美濃との国境を整理し, 従来伊勢の国に入っていた境新田など15か村,美濃の国に入っていた東加賀野井村など4か村を愛知県に編入し,松山中島村, 西中野村を岐阜県に移すという県境の変更がありました。
 また,明治の中ごろには三河を愛知県から独立させたいという論議が起きました。明治初期から三河分県の主張があり,20年 代にはいって三河に1県を置くことを求める運動が盛んになりました。1892(明治25)年,衆議院で「額田県設置に関する 法律案」が審議されています。その理由は経済上の関係が少ないうえに,県費支出が尾張に厚く三河に薄いことや名古屋人の派手 な風習が三河人には合わないということなどが挙げられています。しかし,これは簡単に否決されました。

mark3
[3]愛知県の位置
 日本国内のなかで愛知県はちょうど真ん中に位置しています。伊勢湾 がかなり奥まで入り込んでいます。鎌倉幕府は愛知県を東国と西国との境としたともいわれています。
 愛知県を通る北緯35度の緯線に沿って,東方へ向いて進むとアメリカのロサンゼルスやアトランタの近くへ,また,西方へ向 いて進むとヨーロッパ大陸の南端へと通じています。東経137度の経線はオーストラリアの東部を通っています。

mark4
[4]県庁所在地の位置と名称
 愛知県庁は尾張の中心地であった名古屋市にあります。当初旧尾張藩 家老,竹腰龍若邸にありましたが,その後東本願寺別院へ移り,明治10年に現在地の中区三の丸三丁目に移されました。県名の 愛知は名古屋を含む愛知郡から取ったもので,三河への配慮があったものと考えられます。名古屋に県庁が置かれたのは,名古屋 に勝るほどの相手がほかになかったことが挙げられます。

mark5
[5]なんでもお国自慢
 愛知といえば三英傑(えいけつ)の出身地です。戦国の動乱の中で織 田・松平(徳川)両氏と織田の家臣から出た豊臣秀吉(とよとみひでよし)を含めて,天下取り三人の出身地となったこと。
 もう一つは自動車産業の盛んなことです。豊田(とよた)市を中心とした自動車の生産は日本一。国内はもとより,外国へも名 古屋港や三河港からたくさんの自動車が輸出されています。

 


   

Copyright (C) 2003 by Tokyo Shoseki Co.,Ltd. All rights reserved.