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花ちゃん・オー君・モンタ博士のてくてく自然散歩シリーズ
4.自然界しぜんかいのつりあい・環境保全かんきょうほぜん地質ちしつ地形ちけい世界せかい
 (3)自然環境しぜんかんきょう保全ほぜん
(17)昆虫採集こんちゅうさいしゅう科学かがくのはじめの一歩いっぽ
 (標本ひょうほんづくりは第二だいにいのちづくり)
写真
オーくん
()てくれ,見てくれ,モンシロチョウにスジグロシロチョウ,そのほかにも,キチョウもゲットできたんだ。すごいだろ。」

花ちゃん
「うわー! すごい。さすがは(むし)博士(はかせ)ね。でも,そのチョウをどうするの。」

オーくん
「そうだな? どうしようかな?」

「どうしたの? うわあー! たくさんチョウをとったね。」
モンタ博士

花ちゃん
「このチョウをどうしようかとお(はな)ししてたの。」

「そうだな。チョウをとるだけでも(たの)しいけどね,もう(すこ)()(がく)(てき)にいろいろと調(しら)べてみるのもおもしろいよ。」
モンタ博士

オーくん
科学的(かがくてき)に? どうするの?」

特別(とくべつ)にむずかしくはないよ。(たと)えば,いつ,どこで(はじ)めて()たとか,()ったとか。それだけをノートに()いておくだけでもいいんだよ。それをまとめると,チョウチョのカレンダーができるね。そうすれば,もうりっぱな研究(けんきゅう)になるよ。挑戦(ちょうせん)してみるのも(たの)しいね。それから,標本(ひょうほん)(つく)るのも科学(かがく)第一歩(だいいっぽ)だと(おも)うよ。」
モンタ博士

花ちゃん
「でも,モンタ博士(はかせ)。チョウの標本(ひょうほん)(つく)るのって,なんだかかわいそう。お(かあ)さんにいつも,()(もの)(たい)(せつ)にしなさいと()われているし・・・。」

「そうだね。むやみに()ったり,きずつけるのはよくないけどね。自然(しぜん)(まも)るということは,いったいどういうことなんだろうね。そこを(かんが)えてみようよ。(なに)()らないで,(むし)気持(きも)ちが(わる)いから,()るのもさわるのもいやでは,本当(ほんとう)の自然の姿(すがた)は見えてこないよ。(なん)という名前(なまえ)のチョウかをしっかりと調(しら)べ,しっかりとした標本(ひょうほん)(つく)り,そのチョウの生態(せいたい)といって,()きているいろいろな様子(ようす)()ることが本当(ほんとう)の自然を守るということだと(おも)うんだけどな。チョウチョはそのうち(はね)もぼろぼろになってしまうけど,標本にしておくと,いつまでも,その(うつく)しいすがたを(のこ)せるしね。標本づくりは,チョウに第二(だいに)(いのち)をふきこむことなんだよ。」
モンタ博士

花ちゃん
「ふーん。ちょっと()かったような,分かんないような・・・。」

オーくん
「ぼく,よく()かったぜ,ようするに,チョウを()ることは,(わる)いことじゃないということだよね。モンタ博士(はかせ)!」

「そうだよ。あわてて()からなくてもいいよ。それよりも(はな)ちゃんもオー(くん)自然(しぜん)世界(せかい)()るということは,とってもすばらしいことなんだよ。このことは,よく(おぼ)えておいてほしいね。」
モンタ博士

花ちゃん
「でも,モンタ博士(はかせ)。チョウを()ることは,()(ぜん)()(かい)につながるんじゃないの。チョウを採ると,(わたし)たちの(まわ)りの自然がなくなっちゃわないの。」

自然(しぜん)破壊(はかい)ね。むずかしい言葉(ことば)()ってるね。それは,またゆっくりとお(はな)ししてあげるね。」
モンタ博士

昆虫(こんちゅう)学者(がくしゃ)矢島(やじま)(みのる)さん(元多摩(もとたま)動物(どうぶつ)公園(こうえん)園長(えんちょう))のお(はなし)より
 ()(もの)について,「(いのち)大事(だいじ)にしよう!」とか,「自然(しぜん)大切(たいせつ)に!」とか,よく()かれる言葉(ことば)であるが,よく(かんが)えてみると,これは大人(おとな)(がわ)からの論理(ろんり)があまりにも(はば)をきかせているのではないだろうか。ある程度(ていど)成長(せいちょう)した大人にとっては,その(ひと)なりの価値観(かちかん)があり,生命(せいめい)(かん)とかができていて当然(とうぜん)である。しかし,幼児(ようじ)小学生(しょうがくせい)などの子供(こども)(うご)(もの)(たい)して反応(はんのう)するのであって,ありの行列(ぎょうれつ)があると,()んでみたり,邪魔(じゃま)をしてみたりすることが(おお)()られる。なんと残酷(ざんこく)なことをするのかという人がいる。しかし,それは,生きているということがはっきりと()かっていないからではないかと考えられる。つまり,その行動(こうどう)はなんとなく(おも)(しろ)いからなのである。でも(なに)人間(にんげん)(こころ)(なか)には,人格(じんかく)形成(けいせい)初期(しょき)にそういう反応(はんのう)をしてみたいという,結果的(けっかてき)に大人がみると何と残酷なというが,それは,人間が(とお)らなければならない関門(かんもん)であると考えられる。(むし)(ころ)してはいけないよ,草花(くさばな)()ってはいけないよといって,()をこまねいて,手を()さないようにしてきたのは,それは()(ちが)いであると(だん)(げん)して()いと(おも)う。なぜならば,それと()()みあったり,()ってみたり,だけど,()んでしまった。あるいは,(あそ)びとして,トンボの(はね)をとって()ばしてみた,だけど,(かなら)ず心の(おく)(そこ)には(ざい)(あく)(かん)(のこ)り,(わる)いことをしてしまったというものが残るはずである。そういうものが子供の心の(なか)にちゃんと(きざ)()まれているのである。ぼくの世話(せわ)仕方(しかた)が悪かったからだとか,こんどからはむやみに虫をころさないようにしようとか。そういうものが心のどこかに絶対(ぜったい)に,感性(かんせい)のどこかに必ず(ひび)いているのである。そういう経験(けいけん)を通ってきてこそ,(せい)(めい)というもの,虫や草花などの生き物というものが分かってくるのではないか。
   てくてく自然散歩シリーズ
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