小学校 社会科クイズ

(11)長く続いた戦争と人々のくらし(6年生)


Q1

1930年ごろ,日本が中国の一部を切りはなして独立国にしようとした地域ちいきをなんといいましたか。



答え

満州まんしゅう


解説

満州を独立国として認めてもらおうと,国際連盟れんめいに日本の行動をうったえましたが,認められませんでした。国際連盟を脱退して,国際的に孤立こりつを深めていきました。


Q2

1931年に日本と中国との間に戦争がはじまったきっかけは,次のどれですか。
(1)広島に原子げんし爆弾ばくだんが落とされたから。
(2)中国軍が日本をせめたから。
(3)満州まんしゅう(中国東北部)にいた日本軍が中国軍をせめたから。



答え

(3)満州まんしゅう(中国東北部)にいた日本軍が中国軍をせめたから。


解説

このころ世界じゅうで不景気になり,日本でも生活に苦しむ人が多くなりました。そこで,一部の軍人や政治家は,中国に勢力をのばして景気を回復しようという考えを広めました。こうしたなかで,満州にいた日本軍が中国軍に攻撃したことをきっかけに戦争が中国各地に広がりました。


Q3

第二次世界大戦のとき,日本は広い地域ちいきに軍隊を送りこみました。次のなかで,日本が軍隊を送らなかった国は,どれでしょうか。いずれも現在の国をさします。
(1)タイ
(2)オーストラリア
(3)イラン
(4)インドネシア



答え

(3)イラン


解説

日本が軍隊を送った地域は,太平洋を中心に,北はアメリカ合衆国のはしにあるアリューシャン列島,南はオーストラリア,東はハワイ,西は東南アジアのビルマなど,広い地域でした。


Q4

政府は人々を戦争に協力させることを求め,くらしは戦争のために制限されました。こうしたことを(     )体制とよびます。(     )にあてはまることばは,なんですか。



答え

(戦時)体制


解説

国民が一丸いちがんとなって戦争に協力することが求められました。「日本人ならぜいたくは出来できないはずだ!」「ほしがりません勝つまでは」など,さまざまな標語ひょうごがつくられました。小学校でも戦争の訓練くんれんをしたり,今の中学生くらいになると,工場で働いていました。


Q5

次の年表は,15年にわたる戦争のころの日本にかかわるできごとをあらわしています。 ①から④にあてはまることばを下から選びましょう。

満州,九州,沖縄,第一次世界大戦,第二次世界大戦,1945年,1949年



答え

(1)満州
(2)第二次世界大戦
(3)沖縄
(4)1945年


解説

このときの戦争で,日本はいくつもの国と戦いました。最初は,日本が日清にっしん戦争や日露にちろ戦争で得た満州での権利や利益を守ろうという主張に関係して,中国との戦争でした。その後,ヨーロッパでドイツがまわりの国と戦争をはじめ,こうした動きが世界に広がり,第二次世界大戦へとなりました。1944年ごろから戦争が終わるまでの約1年間,日本の各地で被害がはげしさをましました。


Q6

1941年,日本はハワイの軍港やアジアのイギリス軍を攻撃こうげきしました。このときから長く続いた戦争を何とよんでいますか。



答え

太平洋たいへいよう戦争


解説

東南アジアの多くがヨーロッパの植民地であったので,日本はヨーロッパの戦争をきっかけに,そうした地域ちいきに軍隊を進め,資源しげん獲得かくとくをねらいました。このことがアメリカ合衆国がっしゅうこくとの対立に発展して,東南アジアや太平洋を戦場にして争うようになりました。これを太平洋戦争とよんでいます。


Q7

1945年8月15日は,どのような日でしょうか。



答え

終戦の日


解説

長い戦争は,後半で沖縄おきなわをはじめ日本の国土が戦場となり,たいへん悲惨ひさんな結果をまねきました。多くの人がなくなりました。はっきりとした人数はわかっていませんが,軍人もふくめてなくなった人は約310万人とみられています。8月15日は,戦争を二度と起こさないことをちかい,平和をいのるための「終戦の日」です。






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