小学校 社会科クイズ

(6)3人の武将と天下統一(6年生)


Q1

室町幕府がおとろえると,各地の戦国せんごく大名だいみょうとよばれる武将ぶしょうがおたがいに勢力を争う世になりました。このなかで全国に大きな力を発揮はっきした武将に織田おだ信長のぶなが豊臣とよとみ秀吉ひでよしともう一人有名な武将がいます。だれでしょうか。



答え

徳川とくがわ家康いえやす


解説

1560年,信長は秀吉や家康を従えて今川いまがわ義元よしもとを破りその名が知られるようになりました。秀吉と家康はそうした戦いのなかで力をたくわえていきました。


Q2

織田おだ信長のぶなが滋賀しが安土あづちに城を築き,全国統一の拠点きょてんとしました。そして商業をさかんにしようと,城下町ではだれでも商売ができるようにしました。
こうして設けられた市を何とよびますか。



答え

らくいち楽座らくざ


解説

楽市,楽座のほかに,市場の税や関所をなくすなど,それまでのしくみを改めて商業や工業をさかんにしようとしました。


Q3

織田おだ信長のぶながに仕えて有力な武将ぶしょうとなった豊臣とよとみ秀吉ひでよしは,信長にそむいた明智あけち光秀みつひでをたおし,1583年に大きな城を築き政治の拠点とし,全国を支配するためにさまざまなことをしました。その一つとしてとった,田畑の広さや耕作している人などを調べるやり方を何とよんでいますか。



答え

検地けんち


解説

村ごとに,田畑の広さとそのよしあし,とれる米の量,耕作している人のじゅんに調べて,検地帳に記録していきました。検地をするものさしは,長さが約30cm(1尺)でした。


Q4

室町時代が終わり,戦国大名とよばれる武将ぶしょうが勢力をあらそう世となったころ,戦いにはそれまでとはちがう武器が使われるになりました。この武器はなんでしょうか。



答え

鉄砲てっぽう


解説

1575年に織田おだ徳川とくがわの連合軍と武田たけだ軍が,今の愛知あいち長篠ながしので戦いました。このときの様子を描いた屏風びょうぶ絵には,たくさんの鉄砲を用いていたことが描かれています。この戦いの約30年前に,ポルトガル人をのせた船が鹿児島かごしま種子たねが島に流れ着きました。このとき,鉄砲が持ちこまれました。


Q5

次の年表は,だれの歩みをあらわしていますか。



答え

織田おだ信長のぶなが


解説

信長は多くの武将のなかでも早いうちに,家康など有名な武将をひきいて戦国とよばれた世を統一していきました。しかし,早く世を去りました。教科書で学習した3人の武将のだれかまよっても,安土城に関係することで人物がわかるでしょう。


Q6

次の年表は,だれの歩みをあらわしていますか。



答え

豊臣とよとみひでよし


解説

秀吉は信長のぶながに仕えて有力な武将となりました。大阪に城を築いて,政治の拠点きょてんとし,また物資の流れをつくったりして,大きな財力をたくわえていきました。3人の武将のだれかまよっても,大阪城に関係することで秀吉とわかるでしょう。秀吉のおこなったことで,もう一つ有名なことに,検地と刀狩がありました。


Q7

16世紀のなかばごろに日本にもたらされた宗教は,なんとよばれていますか。



答え

キリスト教


解説

1549年,フランシスコ・ザビエルという宣教師せんきょうしがやってきて,西日本を中心にキリスト教を伝えました。キリスト教にしんせんさを感じる人々が多く,布教が許された土地を中心にしだいに信者がふえていきました。信長のぶながは,当時強い力をもっていた仏教勢力とたいこうするために,キリスト教を保護して学校や教会堂を建てることを許しました。


Q8

「3人の武将」の時代には,今に残る城が各地に築かれました。1607年に加藤かとうきよまさによって築かれた,九州で有名な城は何でしょうか。



答え

熊本くまもと


解説

加藤清正は,小西こにしゆきながの領地を合わせて肥後ひご(今の熊本県)の大名になりました。秀吉の大阪城づくりに力を発揮し,その経験をいかして熊本城を築きました。なかでも石垣いしがきが有名で,しゃがえしという外から登りにくいつくり方がなされています。2016年のおお地震じしんでは大きながいを受けました。



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