小学校 社会科クイズ

(4)武士の世の中へ(6年生)


Q1

平安へいあん時代の終わりのころ,地方の有力な人たちは自分の領地りょうちを広げ,富をたくわえて勢力をのばして武士となりました。武士のなかで大きなまとまりをつくり,強い力をもっていたのはだれでしょうか。



答え

源氏げんじ平氏へいし


解説

源氏と平氏は,朝廷ちょうていの命令で地方の反乱をしずめるなどしました。おもに源氏は東日本で,平氏は西日本で勢力をのばしました。


Q2

次の年表は,だれのしょうがいをあらわしていますか。



答え

源頼朝みなもとのよりとも


解説

源頼朝は,平氏をたおそうと兵をあげると,新しいかしらを求めていた武士が集まってきました。平氏をたおしたのちに,頼朝は武士のかしらとして征夷大将軍(将軍)に任じられました。


Q3

幕府ばくふは,武士の領地を保護したり,ときには土地をあたえたりしました(1)。いっぽうで武士たちは,幕府のために領地にみあった働きをしました(2)。こうした関係を何とよんでいましたか,(1)と(2)にあてはまることばを入れましょう。



答え

(1)ごおん (2)奉公ほうこう


解説

源平げんぺいの戦いに勝利して将軍となった源頼朝が武士たちを従えていくために,とったやり方です。


Q4

鎌倉幕府かまくらばくふが開かれてから80年ほどたったとき,だいたいが今の中国にあたるげんが二度,北九州きたきゅうしゅうにせめてきました。これを何とよんでいますか。



答え

元寇げんこう


解説

元はまわりの国をしたがえようとしていました。日本にも使者を送ってきました。その要求をしりぞけたため,元の軍はてつはうという日本にはない火薬兵器を使い,また大勢がいくつもの集団に分かれてせめてきました。


Q5

源頼朝みなもとのよりとも征夷せいい大将軍たいしょうぐんになり武士の世の中に変わり,政治の中心は鎌倉かまくらに移りました。このころ関東地方では,武士たちが鎌倉と往復したりする道には今に伝わる呼び名がつくようになりました。
これをなに街道かいどうといいましたか。



答え

鎌倉街道


解説

関東地方の武士たちが,領地りょうちから鎌倉へなるべく早く行けるように,道を開きました。今でもその名が標識に残っているところが見られます。


Q6

平氏へいし源氏げんじと戦って敗れたのちに山あいに住み着いたと伝わるところが,四国しこく九州きゅうしゅうには各地にあります。5年生の「山地のくらし」で学習した徳島とくしま県の地方もその一つといわれています。こうした伝説をなに伝説といいますか。



答え

落人おちうど伝説


解説

源平げんぺいの合戦で敗れた平氏は,人の目にとまりにくい山地に逃れて行ったという伝説です。祖谷地方には,たいらのくにもりが身をよせていたと伝わっています。


Q7

武士のなかでも勢力が強かった源氏げんじ平氏へいしの戦いは,なんとよばれていますか。



答え

源平合戦かっせん


解説

12世紀の終わりころ,源氏の一軍は平氏との戦いをくりかえしました。1180年に石橋山いしばしやまの戦い(神奈川かながわ県)や富士川ふじがわの戦い(静岡しずおか県)を,1184年には一の谷の戦い(兵庫ひょうご県)など6回の戦いをして,1185年の壇ノ浦だんのうらの戦い(山口やまぐち県と福岡ふくおか県の間)で,源氏は平氏をほろぼしました。



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