小学校 社会科クイズ

(2)天皇中心の国づくり(6年生)


Q1

1784年に,福岡県志賀島ふくおかけんしかのしまで発見され,現在福岡市立博物館で保存ほぞんされている,たてと横の長さが2.3cmの国宝こくほう は何でしょうか。



答え

金印(きんいん)


解説

金印には「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」という文字がきざまれています。研究によって当時の後漢ごかん(今の中国)の光武帝こうぶていなの国王にさずけたものであることがわかりました。


Q2

7世紀のころの日本で,新しい国づくりのために進んだ文化や制度を取り入れようと,当時のずいに送っていた外交の使者を何とよんでいますか。



答え

遣隋使けんずいし


解説

日本書記などに記録が残っているだけで600年,607年,608年,614年とみられています。しかし,当時の小さな船で今の東シナ海を渡っていくのは危険きけんをともないました。このうち,帰国できたのは607年,608年,614年です。


Q3

6世紀から7世紀にかけて,しだいに大きな寺院が建てられるようになりました。そのうち木でつくられ一番古いと考えられているのは,何という寺院ですか。



答え

法隆寺ほうりゅうじ


解説

法隆寺は聖徳太子しょうとくたいしによって建てられました。仏教の教えを人々に広めようとしたからです。有名な五重塔ごじゅうのとうのほかに,金堂こんどう,中門などいくつかの建物でなりたっています。


Q4

7世紀に日本で国づくりが始まり,みやこがつくられました。最初の都は何とよばれましたか。



答え

藤原京ふじわらきょう


解説

694年,藤原京は今の飛鳥あすか地方,橿原かしはら市の近くに置かれました。その後に710年に奈良に移りました。


Q5

「大化の改新」と言われる天皇(てんのう)を中心とした国づくりが始まりました。8世紀には国をおさめるために,法律(ほうりつ)である((1)    )ができ,((2)    )という税をおさめることになりました。
(1)と(2)にあてはまる言葉は何ですか。



答え

(1)律令りつりょう  (2)調ちょうよう


解説

律令は,当時の中国にならって新しくつくられた法律です。租とはいね収穫しゅうかくの3%を,調とは織物や地方の特産物を納めることをいいます。庸とは年間に10日都で働くか,布を納めることをいいます。都から遠い場所でもこうしたたくさんのものを集められるには,強い力がなくてはできませんでした


Q6

次の年表をみて,(1)にあてはまる人物の名を答えなさい。
(1)



答え

聖徳しょうとく太子


解説

飛鳥時代の問題をまとめる内容です。聖徳太子が国づくりをどのように進めてきたか整理するには,年表にまとめるのも一つの方法です。


Q7

8世紀に天皇の位についた聖武しょうむ天皇は,全国からのべ260万人以上ともいわれる人々を集めて奈良ならに大仏をつくりました。どんな目的でつくったのでしょうか。



答え

仏教の力で社会を落ち着かせようとしたため。


解説

日本で国づくりが始まったころ,各地で災害がおこったりみやこでは病気が流行したりして社会が落ち着いていませんでしたので,仏の光で照らして落ち着いた世にしようとしたのです。また都の位置も,平城へいじょう京から恭仁くに京(京都(きょうと府),難波なにわ宮(大阪おおさか府),紫香楽しがらき宮(滋賀しが県),そして平城京へと短い間に移しました。


Q8

奈良時代の宝物ほうもつをおさめた東大寺とうだいじ正倉院しょうそういんの建物は,特色のあるつくりかたをしています。これを何づくりといいますか。



答え

校倉造あぜくらづくり


解説

柱を用いず,断面が三角形の木を組合せてつくられています。


Q9

奈良時代に入ると,日本では今の中国や朝鮮との外交が行われるようになりました。中国や朝鮮からの使者をもてなしたり,日本の遣唐使けんとうしの使者が出発の準備をしたりするのに利用した施設は何という名前でしたか。



答え

鴻臚館こうろかん


解説

今の福岡ふくおか市でその遺跡いせきが確認されています。京都きょうと大阪おおさか難波なにわにもつくられましたが,遺跡が確認されたのは福岡だけです。


Q10

[発展問題]次の人物を生まれた年の順番に並べてみましょう。

中大兄皇子なかのおおえのおうじ  聖徳太子しょうとくたいし  中臣鎌足なかとみのかまたり  小野妹子おののいもこ



答え

聖徳太子 小野妹子 中臣鎌足 中大兄皇子


解説

聖徳太子は574年に生まれて622年になくなりました。同様に,小野妹子は6世紀末から7世紀前期と考えられています。中臣鎌足は614年から669年,中大兄皇子は629年から672年です。ここまで覚えることはないですが,教科書の年表には書かれています。


Q11

7世紀の後半ごろを中心に,九州全体をおさめていた役所は何とよばれていましたか。



答え

大宰府だざいふ


解説

大宰府は,九州全体を治めたほかに,当時外国との交渉や,西国のぼうえいもしていました。今の福岡県にありました。現在も建物の柱の土台となっていた石が残されています。


Q12

奈良の都平城へいじょうきょうは,どこの都市にならってつくられたのでしょうか。



答え

中国の長安ちょうあん


解説

中国の長安は,7世紀にとうという国の都としてつくられました。道路が碁盤ごばんの目のようになっています。今もこの様子が残されています。また,まちのつくりだけでなく,政治のしくみや大陸の文化を日本の社会に取り入れていこうとしました。


Q13

[発展問題]8世紀ごろ,日本の社会は,疫病えきびょうやききんで落ち着いていませんでした。そこでしょう天皇は,平城京から都を転々てんてんと移しました。その都がおかれた場所を,古い順に並べてみましょう。

難波なにわのみや(大阪府),平城へいじょうきょう奈良なら県),きょう京都きょうと府),らきのみや滋賀しが県)
平城京→  (1)  →  (2)  →  (3)  → 平城京



答え

(1)恭仁京(京都府)  (2)難波宮(大阪府) (3)紫香楽宮(滋賀県) 


解説

710年,平城京に都が置かれてしばらくたったころ,都では病気にかかる人がおおぜいでました。また,各地では災害さいがいや反乱が次々におき,社会全体に不安が広がっていました。そこでしょう天皇は,政治を安定させるために次々と都を移したのでした。


Q14

8世紀のころ,しょう天皇は積極的に大陸の文化を学び,国づくりに役立たせようとしました。このころ日本にもたらされたものは,次のどれでしょうか。

(1)仏教 (2)源氏げんじ物語  (3)銅鐸どうたく  (4)書院づくり



答え

(1)仏教


解説

銅鐸は,1~3世紀ごろの遺跡とみられる吉野ヶ里よしのがり遺跡から出土しています。源氏物語は,さらに新しく10世紀のころの代表的な文学作品です。書院づくりは,もっと後となる13~14世紀の室町むろまち時代の建築です。



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