愛媛県
県章:
  瀬戸 内海の限りない恩恵と愛媛県民の健康で明るい未来を意匠化。
面積:
  5,678.51(km2)
人口:
  1,440,117
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
県の獣:
  ミカンの花
マツ
コマドリ
マダイ
ニッポンカワウソ
地図

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[1]県名の由来
 愛媛県は,1873(明治6)年2月20日,石鉄(いしづち)県と 神山(かみやま)県が統合されて誕生しました。伊予国(いよのくに)は藩政(はんせい)時代に八つの藩に分かれていましたか ら,県名を付ける際,ある特定の藩名や都市名を県名として採用するというわけにはいきませんでした。そこで,王政復古の大号 令が出された時の「なにごとも神武天皇がわが国を統一したころにかえしてまとめよう」という新政府の考えに従い,『古事記』 に出てくる「伊予の国を愛比売(えひめ)という」から採りました。そして,当時よく読まれていた半井梧庵(なからいごあん) の伊予国地誌『愛媛面影(えひめのおもかげ)』の「愛媛」を採り名付けられました。したがって「愛媛」の県名の意味は「かわ いい姫」,「うつくしい女神」ということになります。都道府県名を,こうした神話に因(ちな)んでつけた例は,全国的にみて も極めて珍しいようです。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 県の南部に位置する宇和島藩と土佐藩の境界では,古くから篠山(さ さやま)(標高1065m)と,その南方洋上に浮かぶ沖の島の所属をめぐって紛争が起こっていました。特に篠山には,両藩の 民衆の信仰の中心であった篠山権現(ごんげん)が祭られていたことから,その所属についての争いが絶えませんでした。明治の 初め,両県官立ち合いのもと,篠山山頂に石標が建てられ,境界が確定し,神社は愛媛県に属することになりました。また,宇和 島藩の流刑(るけい)地であった鵜来(うぐる)島と,その南に浮かぶ沖の島は,愛媛県側からの海上交通が不便なことなどか ら,その放棄(ほうき)を政府へ申し出て認められました。現在,これらの島々を含む周辺海域は,国立公園の一角をなしていま す。

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[3]愛媛県の位置
 愛媛県はおおむね北緯33〜34度の範囲に位置しています。これと 同じ範囲に位置する地域をみると,西には福岡県,東には和歌山県南部や伊豆諸島の御蔵(みくら)島,八丈(はちじょう)島が あります。さらに太平洋を越えたアメリカ合衆国のロサンゼルスもほぼ同緯度です。また,愛知県のほぼ中央部を南北に通る東経 133度の線は,オーストラリア大陸のほぼ中央部を通っています。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 愛媛県誕生の際,県庁は松山に置かれました。それは,伊予八藩の中 でも最も石高(こくだか)が多かった松山藩(15万石)の城下町であったこと,愛媛県の中央部に位置していたことが主たる理 由です。なお,松山の地名は,江戸時代の初めに,松山城の建設を企図した武将加藤嘉明(よしあき)が入城したころに付けられ ました。それは,松平氏(徳川氏の本姓)にゆかりのある,若松・松江・高松が栄えていたことにあやかろうとしたものと言われ ています。

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[5]なんでもお国自慢
 愛媛県の特産品と言えば,温州(うんしゅう)みかんです。激しい競 争の中で,1968(昭和43)年以来,常に国内生産量第1位を維持しています。他に次のようなものがあります。
 【農産物】いよかん・キウイフルーツ(第1位),夏みかん(第2位),はっさく・.くり・びわ(第3位)
 【水産物】たい類(第2位),[養殖]まだい・ひらめ(第1位),ぶり類(第2位),真珠(第3位※1998年)
 【工業製品】タオル・ロール紙・障子紙及び書道用紙・祝儀用紙製品(第1位),新聞巻取紙(第2位),印刷用紙・手すき和 紙(第3位)
 ※養殖真珠以外は1996年の統計
 また,しまなみ街道の開通により,観光の発展にも期待が寄せられています。代表的な観光地に,道後(どうご)温泉や日本一 細長い佐田岬半島(全長約50km)などがあります。人物では俳人正岡子規をはじめ文学,司法界,学界に多くの人物を輩出し ています。

 


   

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