岡山県
県章:
  「岡」 の文字を円形に図案化
面積:
  7,113.24(km2)
人口:
  1,946,083
県の花:
県の木:
県の鳥:
  モモ
アカマツ
キジ
地図

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[1]県名の由来
 「岡山」とは岡山城が築かれた微高地で,北の「天神山(天満 山)」・西の「石山」となんで城下町にありました。南北朝の頃から,文献に「岡山」の文字を見ることができますが,地方を代 表する地名となるのは,1573(天正元)年に宇喜多直家(うきたなおいえ)が本拠地を現在の岡山市沼にあった亀山城から岡 山城に移してからです。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 明治の廃藩置県(はいはんちけん)で,現在の県内に20あまりの県 が誕生しましたが,吸収合併を繰り返し最終的には1871(明治4)年に深津県(旧備中国と備後六郡,県庁は笠岡市)・北条 県(旧美作国,県庁は津山市)・岡山県(旧備前の国,県庁は岡山市)の三県となりました。
 その後,1876(明治9)年までに,岡山県が他の二県と合併し現在の「岡山県」の姿になりました。

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[3]岡山県の位置
 北緯35度の緯線を西に辿(たど)って行くと,中国の洛陽(岡山市 の姉妹都市),イランのテヘラン,地中海を抜けてアメリカのメンフィスからロサンゼルスといった都市が見られます。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 山陽道の中央に位置し,南は昔より水運にめぐまれた瀬戸内海に臨み 四国に,地は山陰地方と接し,中国地方の交通の要衝として重要な位置にあります。
 明治22年6月1日,市町村制の実施により,岡山市が誕生しました。面積は5.76km2(今の岡 山市の約90分の1),人口は47,564人(今の岡山市の約13分の1)でした。

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[5]なんでもお国自慢
 芸術部門では水墨画の雪舟(せっしゅう),美人画の竹久夢二(たけ ひさゆめじ),アメリカに渡り洋画で大成した国吉康雄(くによしやすお),彫刻の平櫛田中(ひらぐしでんちゅう),倉敷の大 原美術館を作った大原孫三郎(おおはらまござぶろう)と児島虎次郎(こじまとらじろう)が有名です。スポーツでは女子マラソ ンの有森裕子,ボクシングの辰吉丈一郎,野球の星野仙一。総理経験者としては5・15事件で暗殺された犬養毅(いぬかいつよ し),橋本龍太郎。マンガでは「おじゃまんが」のいしいひさいち,の人びとがあります。
 岡山の山羽(やまば)虎夫は1904(明治37)年,国産自動車第1号の試運転を行いました。
 また,全国区の企業としてはベネッセコーポレーション,紳士服販売のはるやま商事,ジーンズ・学生服の尾崎商事,作業服の 虎壱があげられます。
 農林水産物の出荷額では松茸や養殖カキが上位にあります。
 年間の日照時間も多く,日本最大の反射望遠鏡のある国立天文台も置かれ,「晴れの国,岡山」として観光客誘致を進めていま す。
 庶民も学んだ藩校である閑谷(しずたに)学校や日本三名園のひとつ後楽園(こうらくえん)もあります。
 点字ブロック・音響式信号機の設置も岡山県が全国初でした。

  【参考文献】
岡山文庫 「岡山事物起源」
岡山市100年史 上巻


   

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