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最初の島根県は,廃藩置県(はいはんちけん)で松江(まつえ)・広
瀬(ひろせ)・母里(もり)の出雲(いずも)国の3県が合併し,浜田県から移管された隠岐(おき)国を加えて1871年に成
立しました。県庁所在都市(城下町)名を県名とした県が多いのですが,親藩大名松平(まつだいら)氏の支配地であった島根県
は,城下町「松江」ではなく,松江が属した「島根郡」の名が県名とされました。出雲国風土記(ふどき)によれば,その「島
根」は「国引き神話」で有名な八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が名付けたとされる地名です。
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1881年に鳥取県と分離してほぼ現在の県域が確定するまでに,明
治初期には何度も行政区域が変更になりました。特に松江藩郡代(ぐんだい)を追放し自治政府を設立した経緯のある隠岐は,管
轄(かんかつ)がしばしば変わりました。
現在も帰属をめぐって大韓民国(だいかんみんこく)と争っている竹島(たけしま)は,隠岐諸島の北西約160kmの日本海 にある小島です(0.23km2)。1905年に政府は閣議で日本領土への編入を決定し竹島と命名し ましたが,韓国も鬱陵(ウルルン)島に属する島であると主張し,兵舎を築き,警備員を居住させています。 また,島根・鳥取両県にまたがる中海(なかうみ)には県境は定められていませんでしたが,中海の干拓・淡水(たんすい)化 事業に伴って県境問題が表面化しました。その後,米子(よなご)空港の滑走路延長をきっかけとして境界線が設定さ れ,1992年に自治省が県境を正式決定しました。湖に県境を定めたのは全国初といわれています。 |
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東端:E 133°23′[西郷(さいごう)],西端:E
131°40′[津和野(つわの)],南端:N 34°18′[柿木(かきのき)],北端:N
37°10′[竹島]。中国地方北西部にある細長い県で,歴史的・文化的に異なる隠岐・出雲・石見(いわみ)の3地区に区分できます。
松江の緯度は約N 35°30′で東京とほぼ同じですが,日本海側に位置するために気候は異なり,特に「山陰」らしい曇天の日が多い冬季の差が大きいのが特色です。 九州北部や山口県とともに朝鮮半島に近く,古くから日本海の往来によって新羅(しらぎ)・渤海(ぼっかい)・高麗(こうら い)・朝鮮(ちょうせん)等の大陸の国との交流が行われてきました。 |
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県庁所在地は松江藩の城下町だった松江市です。1611年に堀尾吉
晴(ほりおよしはる)が亀田(かめだ)山に城を築き,その後京極(きょうごく)氏,松平氏の城下町として発展しました。城地
末次(すえつぐ)と大橋川対岸の白潟(しらかた)の両町を合わせて松江と称しましたが,町名の由来については定説がありませ
ん。中国浙江省松江府(せっこうしょうしょうこうふ/実際は呉江県の太湖付近)と情景や産物が似ていることから名付けられた
とも伝えられています。
県庁が東部に位置していることが県西部の開発が遅れた理由の一つだといわれることもありますが,隠岐地方を含めれば松江市 はほぼ県の中央に位置しているといえます。 |
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神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡出土の358本の銅剣,加茂
岩倉(かもいわくら)遺跡出土の39個の銅鐸(どうたく),各地の墳丘墓や古墳などが古代出雲の繁栄を物語っています。
「神々の国」を象徴する国宝の出雲大社(いずもたいしゃ)と神魂(かもす)神社があり,神社で奉納される神楽(かぐら)も各
地に残されています。伝統的工芸品も多く,たたら製鉄の鋼を使った刀剣,めのう細工,そろばん,石灯籠,和紙,焼物,塗物な
どが生産されています。
また,自然に恵まれ,貴重な動植物が生息し,みごとな景観の海岸や渓谷,温泉もあって,海や山には県外からも多くの観光客 が訪れます。ぶどう,わさび,肉牛,しじみ,ぼたんも有名です。 |
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