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明治維新後,県庁が滋賀郡大津町に置かれ,県名を大津県としました
が,1872(明治5)年,大津町の所属する郡名に依拠(いきょ)し滋賀県とされました。「ささなみの志賀」に通じるところ
からの採用と思われますが,確実な資料はありません。
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江戸時代,近江(おうみ)の国は248の領主によって分割支配され
ていました。徳川家康が秀吉にならって,近江の所領を遠国の大名に与え,京都滞在時の費用として分け与えたためによるもので
す。また,京都に近い要衝(ようしょう)の地でもあるので,ことさらに細分化して領主の力を弱めたともいわれています。
1868(明治元)年,大津裁判所が大津に置かれて大津県ができ,明治4年,滋賀・栗太(くりた)・甲賀(こうが)・野洲 (やす)・蒲生(がもう)・神崎の6郡を管轄する大津県と,愛知(えち)・犬上(いぬかみ)・坂田・浅井・伊香・高島を管轄 する長浜県が成立しました。明治5年,大津県は滋賀県と長浜県は犬上県と改称しましたが,同年9月,現在のような単一県にな りました。 |
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県庁所在地の大津市は北緯35度線が通過しています。この35度線
は,西は島根県江津(ごうつ)市,東は千葉県安房郡千倉(ちくら)町を走っております。
35度線上には,地中海に浮かぶクレタ・キプロス両島,イラン,イラク,中国の西安(シーアン)付近など古くから栄えた国 や地域があります。他方,アメリカ合衆国のカリフォルニアなどもあります。 |
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1889(明治22)年,町制の施行により大津町とな
り,1898(明治31)年の市制施行で大津市となりました。県庁所在地としての政治都市機能だけでなく,環境共生都市をめ
ざした新しいまちづくりが進められています。
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[日本一の大きな湖『琵琶湖』]
琵琶湖の面積は,約674km2。滋賀県全体の6分の1を占めています。湖岸線の長さは235km にもなり,この長さは大津から浜松までの距離に相当します。約600万年前,三重県の伊賀盆地の東部に誕生し,その後の地殻 変動により現在の位置に移動してきました。平均の深さは北湖で約43m,南湖で約4m。水面の高さは約85mあり大阪城の天 守閣の高さとほぼ同じです。50種類以上の魚類,貝類が生息し,ここにしか生息しない,固有類のビワマス,セタシジミなどが 有名です。 [彦根藩13代藩主,井伊直弼 (いいなおすけ)] 1858(安政5)年4月。大老となった井伊直弼は,6月19日に日米修好通商条約を結び,同月25日に徳川家茂(とくが わいえもち)を将軍に決め,当時の二大懸案を一気に解決しました。しかし,いわゆる安政の大獄で水戸藩士の反感を買 い,1860(万延元)年3月3日,外桜田の彦根藩邸を出て江戸城に向かう途中,襲撃を受け落命しました。 [産業] 県内総生産における第2次産業構成比が55.5%で,日本一を示しています。ところが,第3次産業構成比は46.0%で, これは日本最低という数字です。(1993年の経済企画庁調査による) 琵琶湖から採れる魚介類を加工した産物がたくさんありますが,それとは別に,八日市市でつくられる,竹と和紙の大凧(おお だこ)は世界一のもので,220畳敷き(縦205m×横19m)の大きさと1.5tの重さがあるものです。 |
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