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現在の三重県は,1876(明治9)年4月18日,旧三重県と度会
(わたらい)県の合併により誕生。旧三重県は,もともとの名を安濃津(あのつ)県と呼び,津に庁舎を置いていましたが,明治
5年3月三重郡四日市に庁舎を移転する際,名前を変更しました。なお,「三重郡」の「三重」は,「古事記」景行(けいこう)
天皇の段に,日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地に来たとき「わが足三重に匂(まが)れるが如く甚だ疲る。」と語り,
それ以来この地を「三重」と呼ぶようになったと記されています。
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1871(明治4)年11月に,伊勢国の安濃津郡より北と伊賀国を
併せて「安濃津県」とし庁舎を津に,伊勢国の一志郡以南と志摩国を「度会県」とし庁舎を伊勢に置きました。このとき,紀伊国
の牟婁(むろ)郡を二つに分け,熊野川以東を「度会県」に編入しました。伊勢湾に浮かぶ島々についても境界線上大きな問題は
なく,比較的にスムーズであったということです。
木曽川下流にある「木曽岬干拓地」について,愛知県とその境界線を巡って協議中でしたが,平成8年9月をもって県境が決定 しました。 |
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日本のほぼ中央に位置し,近畿地方の最も東に位置します。近畿地方
に区分されますが,時には東海地方として,中部地方である愛知・岐阜両県や静岡県といっしょに含まれ呼ばれる場合もありま
す。そのためか,名張(なばり)など上野地域は阪神圏との結びつきが強く,四日市など北勢地域は中京圏との交流が盛んです。
県域は,南北に細長く175qもあり,しかも中央構造線が東西に横切っています。 |
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津市広明町に県庁があります。この県庁は,東経136度30分41
秒,北緯34度43分37秒に位置し,ほぼ,三重県の中央にあります。1音で「津」(つ)という呼び方は,世界で最も短い都
市名です。「津」とは,安濃郡地方の港の意味です。「安濃津」に由来します。古くは,平安時代の「中右記(ちゅうゆうき)」
の1096(永長元)年に「伊勢国安乃津民戸地震之間,為大波浪多以被損云々」とあります。江戸時代になると,藤堂高虎(と
うどうたかとら)による安濃川と岩田川に挟まれた自然条件を巧みに利用した津城が完成し,城下町として整備され発展しまし
た。
なお,この地に県庁が決まった背景がおもしろい。明治4年の初代参事(今の県知事)に愛知士族の丹羽賢がなると,旧津藩士 との対立からともいわれていますが,「安濃津県」の庁舎が南に位置し過ぎることや四日市は水陸交通の便に良いとの理由で唐突 に四日市に移し,名称も「三重県」に改めました。明治5年9月,2代参事に岩村定高がなると,明治6年にまた庁舎を津の丸之 内に戻し,明治9年「度会県」との合併で,津が新「三重県」のほぼ真ん中となり,再び県庁所在地となりました。 |
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歴史上の人物もまた多い。能楽の大成者「観阿弥(かんあみ」は伊賀
国服部(現名張市)の出身。伊勢商人から江戸で店(越後屋)を開いた「三井高利(みついたかとし)」は,松阪の出身。国学者
「本居宣長(もとおりのりなが)」も松阪。俳聖「松尾芭蕉(まつおばしょう)」は上野。真珠養殖の「御木本幸吉(みきもとこ
うきち)」は鳥羽。
山や海の美しさから,伊勢志摩国立公園(55,549ha),吉野熊野国立公園(16,982ha),鈴鹿(すずか)国定 公園(12,709ha),室生赤目青山(むろうあかめあおやま)国定公園(13,564ha)などもあり,自然豊かな風光 明媚(ふうこうめいび)な地が自慢です。 |
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