静岡県
県章:
  富士 山と静岡県の地形を図案化したものである。
面積:
  7,780.60(km2)
人口:
  3,809,470
県の花:
県の木:
県の鳥:
  ツツジ
モクセイ
サンコウチョウ
地図

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[1]県名の由来
 現在の静岡市は,駿河の国の府中という意味で駿河府中(するがふ ちゅう)(駿府)と呼ばれていました。明治維新の時,中央政府から「他の土地にも同じ名前があってまぎらわしいので,古い呼 び名などがあったら二・三書き出して提出しなさい」との指令がありました。駿府(すんぷ)に旧幕府の徳川氏が来ていたことも あって,藩の段階で公的な意味をもつ府中という名前が使われるのを好まなかったのではないかと考えられています。古い呼び名 なども特になかったので,「静,静城,静岡」の三つを提出したところ,1869(明治2)年6月に,徳川家達(いえさと)を 「静岡藩知事に任命する…」という形で初めて「静岡」の名前が使われ,以後広がっていきました。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 静岡県は,江戸時代までの言い方で,駿河(するが),遠江(とおと うみ),伊豆(いず)から成り立っています。明治維新の時,徳川氏が江戸から駿府に移され,駿河と遠江の一部を与えられて駿 府藩となりました。伊豆は韮山(にらやま)代官所の治める幕府の直轄地が旗本の領地であったので別に韮山県となりました。一 方,浜名湖の近くにあった堀江藩は,新政府にはたらきかけてそのまま残りました。その後,駿府藩は静岡県となり,韮山県は足 柄(あしがら)県に入り,堀江藩は浜松県となりました。つまり,明治4年の段階では,現在の静岡県は三つに分かれた状態で, いわゆる「静岡県」という名が付いていたのは,まだ旧駿河の部分にとどまり,現在の面積よりだいぶ小さかったわけです。明治 9年に足柄県の旧伊豆の国の部分が静岡県に入り,続いて浜松県も入ることになりました。さらに,明治11年に伊豆七島が東京 都に編入されて,ようやく現在の静岡県が確定しました。

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[3]静岡県の位置
 日本の太平洋側のほぼ中央に位置しています。静岡県から北緯35度 線上を西へ真っ直ぐ進むと,愛知県,滋賀県,京都府,兵庫県,岡山県の順に通り,広島県,島根県をそれぞれかすめて,日本海 へ抜けます。日本海を越えると大韓民国へ,黄海を越えてユーラシア大陸へ入ると,中華人民共和国を横断し,インドの北部をか すめて,パキスタン,アフガニスタン,イラン,イラク,シリアと通過し,地中海へ出ます。キプロスを通り,チュニジアでアフ リカ大陸へ上陸し,アルジェリア,モロッコと通って,大西洋へ抜けます。大西洋を横断して,アメリカ合衆国へ入り,ロサンゼ ルスの少し北側から太平洋へ出ます。太平洋横断後は,房総(ぼうそう)半島をかすめて相模灘(さがみなだ)を渡り,静岡県に 帰り着きます。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 県庁所在地は「静岡市」です。なぜ静岡市が県庁所在地になったかは 上の[1]と[2]で述べたとおりです。つまり,駿府→静岡→静岡県と必然的に名前が決まっていったというわけです。

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[5]自然豊かな県土と産業
 自然の方面では,何といっても富士山が挙げられます。標高 3,776m,誰もが知っている日本の最高峰です。しかし,富士山が有名なのは,その高さだけではなく姿の美しさが大きな要 素になっています。箱根や伊豆を含めて,富士箱根伊豆国立公園に指定されています。また,温暖で穏やかな気候も自慢といえま す。
 産業の方面では,身体に良いといわれる飲み物,お茶を挙げたいと思います。牧ノ原台地を中心に,山の斜面などを利用して県 内の様々な所で茶の栽培が行われています。生産量は,日本一で全国生産の約半分を占めています。

 


   

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