岐阜県
県章:
  GIFU の「G」をデザイン。点から線,線から面へとダイナミックに拡大していく姿を 表現。
面積:
  10,621.17(km2)
人口:
  2,102,879
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
  レンゲソウ
イチイ
ライチョウ
アユ
地図

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[1]県名の由来
 飛鳥時代から美濃国(みののくに),飛彈国(ひだのくに)に分かれ ていた二つの地域が,統合されて現在の岐阜県となったのは,明治9年です。県都である「岐阜」の名が,そのまま県名となって います。岐阜という名は,1567年に戦国の武将織田信長(おだのぶなが)が城下町に命名した地名です。
 現在の県庁所在地の岐阜市には,織田信長が天下統一の拠点(きょてん)とした岐阜城(当時は稲葉山(いなばやま)城)があ ります。この城下町は,古くは井ノ口と呼ばれていました。井ノ口は用水の取り入れ口の名で,ここは洪水の折,奔流(ほんりゅ う)が吹き破ることがあり,城下の名としてはよくないとして,信長はここに居城を移すや,親しい禅僧(ぜんそう)に改名の相 談を持ちかけました。禅僧はこの地の雅称として使っていた岐山,岐陽,岐阜を候補としてあげ,周の文王が岐山に都を置き,次 の武王が天下を治めたという中国の故事を説明しました。信長はそのうちから,岐阜を選んで公称としたのが,「岐阜」という地 名の始まりだといわれています。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 岐阜県は,飛彈地方,美濃地方と大きく二つに分けることができま す。「飛山・濃水(ひさん・のうすい)」という言葉が象徴するように,高い山々が連なる飛彈地方と豊かな水の恵みを受けて形 成された平野の広がる美濃地方とでは,昔からその国柄が大きく異なり,飛鳥時代よりそれぞれ飛彈国,美濃国としての歴史を歩 んできました。
 明治4年の廃藩置県(はいはんちけん)により,江戸時代を通して多くの領主により分けられていた美濃国は岐阜県として一つ にまとめられました。また,一国天領であった飛彈国は,筑摩(ちくま)県(現在の長野県)に編入されました。そして,明治9 年,飛彈国が岐阜県に入れられ,現在の境域が固定しました。

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[3]岐阜県の位置
 岐阜県は,日本列島のほぼ中央に位置します。また,人口の面から見 ても,岐阜県は日本の中央にあります。国土を天秤秤(てんびんばかり)にたとえ,その秤の上に日本の人々を載せて量ったとす ると,その重心は郡上(ぐじょう)郡美並(みなみ)村のあたりになるといわれています。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 明治4年に美濃国が岐阜県に統合された当初は,美濃国幕領の支配所 である笠松に県庁が置かれていました。しかし,2年後に岐阜に県庁が移されました。県庁移転の候補地として,当時県下最大の 城下町であった大垣に県庁を誘致する運動もありましたが,県で最も大きな商業都市,県の中央に近い,交通の便もよい等の条件 が考慮され,岐阜が県都に選ばれました。

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[5]なんでもお国自慢
 南北で自然が大きく異なる岐阜県では,地域の自然条件等に応じた特 色ある産業が発達しています。飛彈地方では,高冷地野菜,肉牛(飛彈牛),飛彈春慶(漆器)等が,美濃地方では富有(ふゆ う)柿,アパレル産業,刃物,陶磁器等が全国的にも有名です。特に関市の刃物や東濃地方の陶磁器産業は全国トップクラスで輸 出も盛んに行われています。
 歴史上の人物では,斉藤道三(さいとうどうざん)(戦国),織田信長(戦国),円空(えんくう)(江戸),坪内逍遙(つぼ うちしょうよう)(明治),杉原千畝(昭和)などが有名です。また,美濃地方は,壬申(じんしん)の乱,承久(じょうきゅ う)の乱,関ヶ原の戦いなど,時代の節目となる大きな戦乱の舞台にもなってきたところです。
 その他,鵜飼(うか)い,高山祭り,世界文化遺産にもなった白川郷,飛彈山脈など,観光資源にも恵まれたところです。

 


   

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