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山梨県の「山梨」の語源には二つの説があります。一つは,昔の甲斐
(かい)(山梨県の古称)に山ナシの木が多かったからという説,もう一つは,国司(こくし)の役所が平地つまり山の無い平ら
な土地にあったからという説です。前者については,甲斐よりアオナシが朝廷に献じられたと,『延喜式(えんぎしき)』に記さ
れています。また,江戸時代を通じて,山梨県は甲州あるいは甲斐国(かいのくに)と呼ばれ,山梨郡・巨摩郡(こまぐん)・八
代郡(やつしろぐん)・都留郡(つるぐん)の四郡で構成されていました。版籍奉還(はんせきほうかん)の際に一度は甲府県と
命名されましたが,明治4年11月20日の廃藩置県(はいはんちけん)で旧郡名の「山梨」が採用され,現在にいたっていま
す。
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富士山の北面は山梨県,南面は静岡県に属します。しかし,その境も
八合目までしかなく,そこから上部は県境の未決定部分です。古くは,江戸時代においても境界は八合目までしかなかったと『甲
斐国志』に記述され,いまだに県境が決定されない根底には,「富士山頂国有化問題」があります。この問題は,富士山八合目以
上の土地をご神体として私有を主張する静岡県富士宮市本宮浅間大社(ほんぐうせんげんたいしゃ)と,富士山の景観と自然保護
の立場から国有を主張する国との争いです。裁判所での一審・二審では,測候所等を除いた大部分を社有とする判決が出ました
が,山梨県の富士吉田市議会は私有化への反対と国有化確保を決議しています。なお,現在,八合目以上の行政的管理は静岡県が
行っています。
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甲府市を東へ110qまっすぐ進むと東京駅に着きます。電車を使う
と2時間ほど,自動車だと3時間余りで都心へアクセスすることが可能です。そのために,中部地方に属している山梨県ですが,
人的な交流や経済的な結びつきでは完全に東京圏であり,法律的にも首都圏整備計画の対象県に指定されています。一方,地形・
地質に注目すると,フォッサ=マグナと呼ばれる日本列島を東西に分ける大きな構造地帯が,山梨県の真上を南北に通っているこ
とが特徴です。この構造地帯の西縁は,山梨県の早川にほぼ沿って走り,「糸魚川(いといがわ)−静岡構造線」の一部として,
明瞭な大断層帯となっています。
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「甲府(こうふ)」の称が始まったのは,武田信虎(たけだのぶと
ら)(信玄の父)が現在の武田神社(甲府市北部)の地に新たな館を築いたときからで,「甲斐の府中」を意味しています。近世
初頭に浅野氏によって甲府城(現甲府駅付近)が完成すると,以降,現在の市街地に城下町が発達しました。一時期は「甲府」が
県名となりますが,明治22年の市町村制施行で,県都の名称となり,関東では,東京・横浜・水戸についでの施行でした。
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中央高地の南東部を占める山梨県は,わが国第1位・第2位の標高を
誇る富士山・北岳を県域に持ち,自然が豊かな,富士箱根伊豆・秩父多摩(ちちぶたま)・南アルプスの3国立公園と,1国定公
園・2県立自然公園があります。その総面積は,県土全体のおよそ25%を占めています。農業では果樹栽培が有名で,ぶどう・
桃・スモモなどが全国一の生産量を誇り,栽培地域は甲府盆地の東部と西部が中心で,そのうちのおよそ半分が京浜市場に出荷さ
れています。また,ワインとウイスキーの生産量も全国一です。伝統的な地場産業では,宝石・貴金属製品と印章の製造が有名
で,前者は甲府市,後者は六郷(ろくごう)町が最大集積地となっています。先端産業では,産業用ロボットの生産が全国一で
す。
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