福井県
県章:
  「フ クイ」を図案化し,県勢の発展と調和を表している。
面積:
  4,189.89(km2)
人口:
  810,552
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
  スイセン
マツ
ツグミ
越前ガニ
地図

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[1]県名の由来
 福井県の県都福井市は,古くは北庄(きたのしょう)といいました。 かつて豊臣秀吉(とよとみひでよし)に敗れた柴田勝家(しばたかついえ)が北庄で自害したことは有名で,現在でも「北庄通 り」「柴田神社」が存在しています。1624(寛永元)年,越後の高田(現新潟県上越市)から来た松平忠昌(まつだいらだだ まさ)が治めるとき,北庄の「北」は「敗北する」「逃げる」に通じるとして「福居」という地名に改称しました。「福の神が居 住する地」「幸福に暮らせる地」を念じたものと思われます。1701(元禄14)年には,福居からより簡単な字の「福井」に 改称されました。
 1871(明治4)年の廃藩置県(はいはんちけん)により,越前国(えちぜんのくに)に福井県・丸岡県・大野県・勝山県・ 鯖江(さばえ)県・本保(ほんぼ)県・若狭国(わかさのくに)に小浜県(おばま)が設けられ,現在の福井県外の飛地は旧藩名 を引き継いだ各県に属しました。同年11月,県の統廃合により敦賀(つるが)県と福井県に分かれました。その後,福井県は足 羽(あすわ)県と改称しましたが,1881(明治14)年2月に再び誕生しました。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 1876(明治9)年,嶺北(れいほく)地方は石川県に,嶺南(れ いなん)地方は滋賀(しが)県に分割されたが,1881(明治14)年それらの地域を割譲(かつじょう)し,改めて福井県を 設置,ほぼ現在の県域となりました。1958(昭和33)年,大野郡石徹白(いとしろ)村の一部を岐阜県白鳥村に編入し,現 県域を確定しました。東から南東にかけては,越美(えつみ)山地の分水嶺をもって岐阜県との県境とし,さらに若丹の山地を もって南西は滋賀県との県境とし,西は京都府との県境としています。ユニークなのは北の石川県との県境であって,加越(かえ つ)山地による自然的境界が大部分を占めていますが,海岸線は金津(かなづ)町吉崎集落の中央の家並みを切って県境になって います。したがって隣の石川県加賀市にも吉崎集落があり,家が隣同士でありながら県名が違う集落となっています。ちなみに福 井県金津町吉崎地区の小学生は,石川県加賀市の錦城中学校に進学します。

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[3]福井県の位置
 福井県は日本列島のほぼ中央にあり,福井市を例にとると北緯36度 03分41秒,東経136度13分19秒にあります。福井市とほぼ同じ緯度の都市は長野県岡谷市,茨城県土浦市などがあり, 世界的視野で見ると,東は太平洋を通ってアメリカのグランドキャニオン,西は日本海から韓国を通って中国の青島(チンタオ) があります。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 県庁所在地は,1873(明治6)年に敦賀(つるが)市に置かれま した。敦賀には港があり,京都以北の県はみなこの港を利用すると考えていたためです。しかし1875(明治8)年福井市への 県庁移転を求める上申書が出され,結局,嶺南の人々は反対し意見の対立が続き,両者の意見とも聞き入れられず,その後福井県 は一旦消滅し,滋賀県と石川県に統合されました。1881(明治14)年2月福井県は再び誕生し,3月には佐佳枝上町(現福 井市)に仮県庁が開庁しました。現在は福井市大手3丁目に県庁が置かれています。福井駅のすぐ前です。

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[5]なんでもお国自慢
 福井県はかつて人絹(じんけん)産業で発達した県ですが,現在では 鯖江(さばえ)市のめがね枠産業が日本有数の産業となっています(全国の95%)。また毎年経済企画庁が発表する国民生活指 標では,日本有数の住みやすい県の一つでもあります。
 米の品種として有名なコシヒカリ,冬の味覚を代表する越前がになどが有名です。また若狭湾の海は遠浅であり,しかも大変き れいであるため,関西方面からの海水浴客が後を絶たず,さらに勝山市では全国で産出される恐竜化石の8割が発掘されるなど, 恐竜王国でもあります。

 


   

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