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石川県は,1871(明治4)年の廃藩置県(はいはんちけん)で,
当初は藩がそのまま県という行政区画になったため,金沢藩がそのまま金沢県となりました。しかし,金沢県は加賀一カ国の領域
とされ,県都として北寄りに過ぎるとの理由から,県庁が美川(みかわ)町に移転され,県名も美川が属していた郡名(石川郡)
が採用され,石川県と改称され現在に至っています。
しかし,県庁は明治6年に再び金沢に復帰しています。 |
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全国的には,現在の諸県は,旧藩が統合され成立した例が多いのです
が,石川県の場合は,旧藩の分割によって成立したという特色をもっています。県域は何度も変更され,一時的には,現在の石川
県,富山県,福井県の北部を領域とする大石川県時代もありました。
県域が現在のように確定したのは明治16年のことです。 |
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石川県は,本州の中央部の日本海沿岸にあって,比較的単調な海岸線
の続く日本海沿岸域のなかでは,ひときわ目立つ大きな半島である能登(のと)半島と,その基部(きぶ)を占めています。
南西から北東の方向に傾いた長くて狭(せま)い県域は全国でも類例が少ないものです。(南端:北緯36度04分 北端:北 緯37度52分 東端:東経137度21分 西端:東経136度14分) |
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金沢市は,石川県加賀地方のやや北部にあり,北陸三県(福井・石
川・富山)のほぼ中央部に位置しています。(北緯36度33分 東経136度46分)
金沢市の地名の由来は,小立野(こだつの)台地で砂金採掘(さきんさいくつ)を行った「金洗沢(かなあらいのさわ)」によ るといわれます。金沢市は,近世にこの地方を治めた大名「前田家」の居城金沢城の城下町であったため,県庁所在地となったも のと思われます。 |
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石川県は,長い歴史の間,加賀・能登の二国に分かれて,日本列島の
ほぼ中央北辺に位置し,古くは,越(こし)の国ともよばれていました。古代においては,能登の海路を通じて高句麗(こうく
り)・渤海(ぼっかい)地方と,中世においては蝦夷地(えぞち)・東北地方との北前船の流通交易など,まさに現代につながる
日本海文化の基盤がつくられていました。
戦国時代には一向一揆(いっこういっき)が守護(しゅご)を倒して,「百姓の持ちたる国」を実現させ,その本拠地となった 所が金沢の前身でした。 近世は,日本最大の大名「加賀百万石」の前田家の領地で,江戸,京都,大阪の三都に続く繁栄(はんえい)を示しました。金 沢市は第二次世界大戦の戦火にみまわれなかったので,城下町の家並が残っており,古都のたたずまいを現代に伝えています。こ のような経緯から,石川県は伝統産業が盛んです。加賀友禅(かがゆうぜん),金沢箔(はく),九谷焼(くたにやき)などの伝 統工芸は全国でも有名です。なかでも,金沢箔として知られる金箔の生産額は全国1位であり,石川県が全国の生産額の7割以上 をしめています。 以上のように石川県は「日本海文化と百万石の郷土」という古くからの遺産と伝統を今に伝える風土をもった地域なのです。 |
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