富山県
県章:
  立山 をモチーフに,その中央に富山の頭文字「と」を配している。
面積:
  4,247.62(km2)
人口:
  1,094,827
県の花:
県の木:
県の鳥:
  チューリップ
立山スギ
ライチョウ
地図

mark1
[1]「富山」の由来
 富山はもともと「外山(とやま)郷」といわれた土地でした。外山が 富山となったのは佐々成政(さっさなりまさ)(安土・桃山時代)以降の城下町が外山の地の藤井村に建設され,外の字を佳名 (かめい)の富と改めて寺名にした真言宗富山(ふせん)寺の土地に城郭が建設されたために富山と名づけられたと伝えられてい ます。そして,廃藩置県(はいはんちけん)後の1883(明治16)年に,現在の富山県域を管轄(かんかつ)地として成立し た富山県は,県庁を富山の地においたために,富山を県名とすることになりました。

mark2
[2]「富山県」の成立
 明治時代を迎えるまで,富山県の4郡[射水(いみず)・礪波(とな み)・婦負(ねい)・新川(にいかわ)]は富山藩と加賀藩の両藩に分かれていました。1871(明治4)年の廃藩置県によ り,富山藩は富山県と改められ,富山の地に県庁が置かれ,同じ年の11月には富山県が廃止され,礪波・婦負・新川の3郡から なる新川県が置かれ,魚津(うおづ)に県庁が移されました。さらに,1876(明治9)年には,射水郡を含む新川県が廃止さ れ,その領域は石川県へ吸収されました。ところが石川県議会では,治水工事を求める富山出身議員と道路改修などを主張した加 賀・能登出身議員との間で利害対立が生まれ,富山出身議員を先頭に石川県からの分県運動が進められました。1883(明治 16)年5月,富山県が正式に設置され,県庁が富山に置かれました。

mark3
[3]富山県の位置
 世界人口の2分の1が集まるアジア大陸。その東海上には島国,日 本。富山県は本州の中央北部に位置し,日本海に面しています。富山県は中部地方の日本海側,日本のほぼ中央部にあり,東は新 潟県と長野県,南は岐阜県,西は石川県に隣接しています。富山県は,三方を山に囲まれ,中央には平野が大きく広がったまとま りのよい地形をしています。

mark4
[4]富山市の位置
 富山市は富山県の中央部に位置し,富山湾に面しています。富山市は 県庁所在地として,近世より政治・経済・文化の中心地として大きな役割を果たしてきています。

mark5
[5]なんでもお国自慢
 日本海側屈指の工業県 富山県の産業は,売薬業を抜きに語ることは できません。いわゆる「越中(えっちゅう)富山の薬売り」として有名な売薬業は,富山二代藩主前田正甫(まさとし)が反魂丹 (はんごんたん)の生産と販売を命じたのがはじまりだといわれ,使った分だけの代金を払う「先用後利(せんようこうり)」と いう独特の商法が行われました。売薬業によって蓄積された資本は,明治期から電源開発や銀行業の創設,売薬業の海外進出に向 けられ,富山の産業の基礎となりました。また,豊かな水と安価な電力によって,大正時代以降,工業の立地が進み,現在は日本 海側屈指の工業県となっています。業種別では,アルミ関連産業を中心として非鉄金属や金属製品の比重が重く,特にアルミ工業 は全国一のシェアを誇り,全国の出荷額の15.2%を占めています。
 ゆとりある住まいと住みよさ 富山県の持ち家率は,80.4%で全国1位。しかも,その広さと居住性はトップクラスです。 また1世帯当たりの人員が3.18人(全国3位,H12.3.31現在)と多いにもかかわらず,1人当たり延べ面積は 42.4m2,1住宅当たり延べ面積の平均も154.9m2でともに全国1位 とゆとりのある住まいとなっています。また,道路整備率が全国1位など社会資本が整備されていることや,「火災」「有感地 震」「犯罪」が少ないのも,富山県の住みよさの一つの特徴です。

 


   

Copyright (C) 2003 by Tokyo Shoseki Co.,Ltd. All rights reserved.