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「東京」という都名の由来は,比較的新しく,明治維新によって生ま
れた地名です。それまでは,江戸と呼ばれ,幕府の本拠地として政治の中心であり,武家の町と称するほどの消費都市でした。江
戸から東京への改称は,1868(慶応4)年7月17日に天皇の詔(みことのり)に「今ヨリ江戸ヲ称シテ東京トセン」と宣言
したことによります。東京とは,西の京(=「みやこ」)である京都と同格の東の京(=「みやこ」)という意味をもっていま
す。東京遷都(せんと)は,戊辰(ぼしん)戦争により江戸開城の結果,旧幕臣前島密(ひそか)や江藤新平らによって江戸遷都
論が生じ,1868(慶応4)年7月17日に江戸遷都と決定しました。同年10月13日,明治天皇は東京に行幸(ぎょうこ
う)し,江戸城を皇居とし東京城と改称しました。そして,翌年3月,天皇が東京に再幸し,政府の中心機関が東京に移り,明治
政府の首都東京として発足しました。「東京」の呼び方は,当初「とうけい」といわれていたようです。
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1871(明治4)年の廃藩置県(はいはんちけん)により,ほぼ現
在の23区を行政区域とする東京府が成立しました。しかし,多摩地区や伊豆諸島は,神奈川県などに属していました。伊豆諸島
は,明治に入り韮山県(にらやまけん),足柄県(あしがらけん),静岡県を経て,1878(明治11)年に政府の力が行きと
どく東京府に編入されました。一方,神奈川県管下にあった三多摩は,1893(明治26)年4月に東京府に移管されました。
これは,東京府民の人口増加による水源確保(府民の飲料水として利用されていた玉川上水(たまがわじょうすい)の水源管理を
確実にするため)をねらいとしていました。また,当時,三多摩では自由民権運動が盛んで,神奈川県の政界で自由党が有力な地
位を占める基盤ともなっていました。そのため,三多摩の自由民権運動を抑圧するねらいもありました。これにより,ほぼ現在の
東京都の範囲が確定されました。
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東京都は,本州のほぼ中央からやや東北よりの関東平野南西部に位置
しています。面積は47都道府県中45番目と狭(せま)いのです。しかし,伊豆・小笠原諸島を管下にしているため,非常に広
い範囲にわたっています。日本の最東端にある南鳥島から南へ向かえばオーストラリアの東海岸のブリスベンの沖に達します。ま
た,日本の最南端にある沖の鳥島から西に向かえばベトナムのハノイの南を通り,東に向かえば太平洋を越えてメキシコシティへ
たどり着きます。
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現在,都庁所在地は新宿区西新宿です。1991(平成3)年に新宿
の高層ビル群の一角に2棟の高層ビルと議会棟からなる新都庁舎が完成しました。それまでは,千代田区丸の内にありました。一
般的には,特別区に都庁舎があるため,都庁所在地を「東京」ということもあります。
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全国各地に「○○銀座」とか「△△銀座」という銀座名を付した商店
街が,多く見られます。ほとんどの場合は,日本のモダンな繁華街(はんかがい)の代名詞である中央区銀座の名前にあやかって
名付けられているようです。江戸時代,銀座は,銀貨の鋳造(ちゅうぞう)所,銀座がありました。関東大震災後,デパート・大
商店が進出し,繁華街となりました。銀座で買い物などをすることは,モダンであったり,高級というイメージがあったりして
「銀ブラ」という名称も起こりました。現在,全国に銀座の数は,500ほどあるといいます。
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