埼玉県
県章:
  勾玉 のもつ「魂・中心・円満」と「太陽・発展・情熱」を象徴
面積:
  3,798.08(km2)
人口:
  7,272,304
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
  サクラソウ
ケヤキ
シラコバト
ムサシトヨミ
地図

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[1]県名の由来
 「埼玉」という地名には,サキタマ,サイタマという二通りの読み方 があります。『倭名抄(わみょうしょう)』では,郡名に「佐伊太末」郷名は「佐以多万」と,いずれもサイタマと読ませていま す。しかし,『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』は「前玉」,『万葉集』は「前玉」「佐吉多万」でサキタマと読 みます。
 サキタマの意味は,人の身を守って幸福を与えてくれる神のはたらき,つまり「幸魂(さきたま)」であるという説,地形をさ す語として水,淵,または水田可耕地としてのタマ(湿地)の前方の地という意味,あるいは多摩郡の先という説があります。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 1871(明治4)年7月の廃藩置県(はいはんちけん)によって, 県下には忍(おし)・岩槻(いわつき)・川越・半原・前橋・高崎・佐倉・久留里・古河(こが)・下妻(しもつま)・泉・足 利・六浦・龍崎の14県が誕生しました。同年11月4日に地理的行政区画により埼玉県と入間(いるま)県に統合されました。 埼玉県は,荒川以東の地域で東部の足立・埼玉・葛飾郡の地で,県庁は浦和に置かれました。入間県は荒川以西と熊谷(くまが や)以北の地域で,新座(にいざ)・入間・高麗・比企(ひき)・横見・秩父・児玉・賀美(かみ)・那珂(なか)・大里・幡羅 (はたら)・榛沢(はんざわ)・男衾(おぶすま)の諸郡の地で県庁は川越に置かれました。1873年に入間県は群馬県と合併 されて熊谷県となりましたが,1876年に分離し埼玉県に合併され,県の境域が確定しました。平成13年8月現在,埼玉県は 41市38町11村の90市町村があります。

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[3]埼玉県の位置
 関東平野の内部に位置する内陸県で,北は群馬県と栃木県,茨城県, 東は千葉県,西は山梨県と長野県の各県に,南は東京都に接しています。東西約103km,南北約52kmの距離があり,面積 はおよそ3,800km2で,この広さは国土の約100分の1にあたり全国で38番目の広さです。東 経138度43分〜139度54分,北緯35度45分〜36度17分に位置し,西部の山地,中央部の洪積(こうせき)台地, 東部の沖積(ちゅうせき)低地からなっています。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 県都浦和市の東を綾瀬川,西を荒川が流れています。数千年前,浦和 は奥東京湾の小集落であったといい,湾岸が曲線をなすところの意である浦曲(うらわ)に由来します。県庁が置かれた明治4年 当時の浦和は,都市的発展が遅れており「県庁所在地の町」として珍しい存在でした。しかし,関東大震災を契機(けいき)に都 内からの移住者が増え,次第に発展しました。
(平成13年5月1日に,埼玉県の県庁所在地は浦和市から「さいたま市」にかわりました。さいたま市は,浦和市・大宮市・与 野市が合併して誕生しました。)

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[5]何でもお国自慢
[1]彩の国の産業
 埼玉県の産業構造は,昭和30〜40年代半ばにかけての約10年間に大きな変貌(へんぼう)をとげました。昭和30年当時 は,まだ農業県の色彩が濃く,工業といえばいわゆる地場産業が主流を占めていました。ところが,昭和33〜35年を境に高度 成長の波に乗って急激に工業化が進展し,一大内陸工業地帯へと発展をとげています。現在,野菜の生産高及び工業出荷額がとも に全国第6位という地位を占めています。
[2]彩の国の人物
 熊谷直実(くまがいなおざね)(熊谷(くまがや)市・源頼朝より地頭に任ぜられる)・塙保己一(はにわほきいち)(児玉 町・『群書類従』を刊行する)・田代栄助(たしろえいすけ)(秩父市・秩父事件の中心的存在)・渋沢栄一(しぶさわえいい ち)(深谷市・日本煉瓦(れんが)製造株式会社を創設するなどの大実業家)・荻野吟子(おぎのぎんこ)(妻沼(めぬま)町・ 日本初の女性医師)
[3]その他
 埼玉県が首都東京に隣接していることから,都市化が急激に進んだこと。若年労働者を中心に他県から流入が相次いだこと。こ うした若い人たちが結婚し,子供が産まれたことなどから,人口増加数及び県民の平均年齢の若さ(38.3歳)が全国一位に なっています。

 


   

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