栃木県
県章:
  「栃」 の字を抽象化し,エネルギッシュな向上性と躍動感を表現したもの。
面積:
  6,408.28(km2)
人口:
  2,010,934
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の獣:
  ヤシオツツジ
トチノキ
オオルリ
カモシカ
地図

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[1]県名の由来
 「遠津紀国(とほつきのくに)」が栃木に?
 今から1600年〜1700年ほど前に,崇神(すじん)天皇の皇子として生まれた豊城入彦命(とよきいりひこのみこと) が,全国統一の命令をうけて「下毛野国(しもつけぬのくに)」をおさめました。豊城入彦命は見知らぬ土地で暮らすうちに,さ みしさをつのらせていきます。
 自分のふるさとである紀国(きのくに)(現在の和歌山県)の風景に似ている太平山(おおひらさん)付近を眺めては「遠津紀 国(とほつきのくに)」(遠くはなれたふるさとの紀国のようだ)とつぶやいたそうです。この「遠津紀国(とほつきのくに)」 が「とほつ木」→「とつ木」→[とち木]と変わっていき現在の「栃木」に変わっていったといわれています。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 明治時代のはじめ,栃木は13の藩(はん)や県に分かれていまし た。新しい政府は,古い藩をなくして全国的に府と県をおく政策をとったので,栃木も宇都宮県と栃木県にまとめられました。こ れが栃木県として1つになったのは1873(明治6)年のことです。1876(明治9)年,館林県の三郡[山田(やまだ) 郡・邑楽(ゆうらく)郡・新田(にった)郡]が群馬県に移って最終的に現在の県域になりました。

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[3]栃木県の位置
 栃木県田沼町「どまんなか宣言」。弓なりの形をした日本列島の最北 端を北海道の稚内(わっかない)市,沖縄県を除く最南端を鹿児島佐多町,東西端は茨城県波崎(なみざき)町・新潟県上越市と して経度と緯度を観測したところ,日本列島の中心は東経139度30分21秒,北緯36度30分54秒となります。この地点 は,栃木県田沼町佐原地区の蓬莱(ほうらい)山東側の面白石沢付近にあたります。
 日本列島の中心は栃木県の中にあります。
 1999年,田沼町は「どまんなか町」を宣言し記念碑の除幕式も行われました。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 栃木県と宇都宮県がひとつになったとき,県庁所在地は栃木市にあり ました。明治17年に県令になった三島通庸(みちつね)は,自由民権運動が活発な栃木市をきらい,県庁所在地を現在の宇都宮 市にうつしました。
 宇都宮市は,首都東京から北へ約100km,栃木県のほぼ中央に位置しています。約1600年の歴史をもつ二荒山(ふたあ らやま)神社の門前町から出発しました。江戸時代には,奥州(おうしゅう)街道と日光街道の分岐点にある城下町として発展し たところです。1999年現在,人口44万人をこえ,栃木県の県庁所在地してだけではなく,経済や文化などの機能が集積する 北関東の拠点都市として発展してます。

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[5]何でもお国自慢
 栃木県は,関東平野の北部に位置し,日本に8つある,海のない県の 1つです。山と平野と川で形作られた県土は自然に恵まれています。日光国立公園には,火山・湖沼・湿原(しつげん)・温泉・ 渓谷(けいこく)などがあります。
 栃木県は,数多くの文化遺産が残っています。奈良時代の下野(しもつけ)国分寺戒壇院(かいだんいん),室町時代の足利 (あしかが)学校,江戸時代の日光東照宮など,文化の先進地として発展したことがわかります。これらの歴史と伝統の中で磨 (みが)かれた高度な技術が民俗芸能や伝統工芸品としてたくさん残っています。益子焼(ましこやき)・結城紬(ゆうきつむ ぎ)・烏山和紙(からすやまわし)・日光彫・佐野天明鋳物(てんみょういもの)など有名です。
 栃木県の特産物としては,全国の90%以上の生産があるかんぴょう,全国一の生産をほこるいちご,火や振動に強い大谷石 (おおやいし)などがあります。
 栃木県を代表とする人物として,足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)で,農民のためにたたかった田中正造(しょうぞう) が有名です。

 


   

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