茨城県
県章:
  県に ゆかりの深い「ばら」をモチーフに,開き始めたつぼみをダイナミックに象徴化
面積:
  6,095.84(km2)
人口:
  2,997,072
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
  バラ
ウメ
ヒバリ
ヒラメ
地図

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[1]県名の由来
 1871年(明治4)年7月,廃藩置県(はいはんちけん)により, 今の茨城県のほぼ同じ広さにあたる範囲に,水戸県など15の県が誕生しました。この年の11年13日,15の県は,一部を除 いて茨城県(県庁:水戸)と新治(にいばり)県(県庁:土浦)の二つにまとめられました。このときの茨城県の面積は,現在 の,ほぼ5分の3でした。県名の「茨城」は,県庁の置かれた水戸が,茨城郡内にあったことから,その郡名を採って名付けられ たのです。茨城県では,最初に「茨城」が使われた11月13日を「県民の日」と定めています。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 新治県では,利根川や鬼怒(きぬ)川の水害がたび重なり,その対策 に多くの費用がかかるようになり,県の財政ではまかないきれなくなってしまいました。そこで,新治県では,政府に合併を願い 出て,1875(明治8)年5月7日に茨城県,新治県が合わさって現在のような茨城県が誕生しました。このとき,利根川を境 にして北側は茨城県,南側は千葉県に組み入れられました。このころの人口は,茨城県が約36万人,新治県が約47万人でした (明治5年)。

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[3]茨城県の位置
 茨城県から北緯36度線上を東にまっすぐ進むと,太平洋を越えてア メリカ合衆国のラスベガスにたどり着きます。同じく西に進むと,埼玉・長野・岐阜・福井県を通り日本海を越え,韓国,中国か ら西アジアを経て,地中海にたどり着きます。東経140度線上を北に進むと,福島・山形・秋田県,北海道を通って,オホーツ ク海を越え,ロシアを通って北極海にたどり着きます。同じく南に進むと,千葉県から太平洋を越えてニューギニア島,オースト ラリアを通って南極大陸にたどり着きます。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 水戸は,江戸時代には水戸藩の城下町として栄え,おもな街道の通る 交通の要所でもあり,また,茨城県のほぼ中央であることから水戸に県庁が置かれました。県庁は,最初は弘道館(こうどうか ん)におかれ,その後,前の県議会議事堂のところに移り,1930(昭和5)年に前の県庁の場所(水戸市三の丸)に建てられ ました。
 廃藩置県では,藩をそのまま県と名前を変えただけで,行政区域は変わりませんでしたから15の県はそれぞれ面積や人口に大 きな違いがありました。また,幕府の領地や他国藩の飛び地もあったり,谷田部(やたべ)藩のように,このときにほかに移され たところもあったりして大変複雑でした。このときの水戸県の人口は,約26万人でした。しかし,そのほかの県はいずれも小さ な規模で,宍戸(ししど)県,下妻(しもつま)県,志筑(しつく)県,麻生(あそう)県,牛久(うしく)県,龍ケ崎(りゅう がさき)県は人口1万人以下でした。

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[5]何でもお国自慢
 茨城県は全体の約3分の1が低い台地や平地,霞ケ浦(かすみがう ら)・北浦等の湖沼で,残りは山地です。太平洋に面して全長180kmにもおよぶ美しい海岸線があります。全体として変化に 富んだ地形で,自然に恵まれています。筑波(つくば)山は姿が美しく,山頂からの眺めもすばらしく西の富士山とならび,名山 といわれてきました。新しくつくられた常陸那珂港(ひたちなかこう)は,北関東の物流の拠点として重要な役割を期待されてい ます。
 特産物としては,水戸といえば納豆を思い浮かべるほど「水戸納豆」が有名です。
 おもな人物では,鎌倉時代の初め浄土真宗の教えを説いた親鸞(しんらん),「水戸黄門」で有名な徳川光圀(とくがわみつく に),間宮海峡の発見者である間宮林蔵(まみやりんぞう),江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜(とくがわよしのぶ)などが挙 げられます。

 


   

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