福島県
県章:
  福島 県のかしら文字「ふ」を図案化したもので,県民の融和と団結を表したもの。
面積:
  13,782.76(km2)
人口:
  1,980,259
県の花:
県の木:
県の鳥:
  ネモトシャクナゲ
ケヤキ
キビタキ
地図

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[1]県名の由来
 福島県は中通(なかどお)り,会津(あいづ),浜通(はまどお)り の三地方で構成されています。県名の福島は,中通り北部にあった福島藩の居城福島城(福島市杉妻(すぎのめ)町:現在の福島 県庁)からとったものです。福島城は戦国時代の末期,当時の会津と中通りを支配した蒲生氏郷(がもううじさと)が,それまで 杉妻城と呼ばれていた城を福島城と名づけたのが始まりといわれています。福という字の縁起(えんぎ)にあやかったという話で す。氏郷は,豊臣秀吉から強い信任を受け,36歳という若さで,実質的に奥州(おうしゅう)の支配をまかされ,会津黒川(あ いづくろかわ)城,若松(わかまつ)城[現在の会津鶴ケ城(つるがじょう)]を本拠地(ほんきょち)に91万石を領した人物 です。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 戊辰(ぼしん)戦争の直前,本県は11の藩と,14の藩の飛領,天 領からなっていました。藩も大小さまざまで,天領や多くの飛領が複雑に入り組んでおり,しかも,それらが戊辰戦争から廃藩置 県(はいはんちけん)にかけての短期間に,実に複雑多岐(たき)な行政上の変化をたどりました。1871(明治4)年の廃藩 置県で,福島(ふくしま),若松(わかまつ),白河(しらかわ),二本松(にほんまつ),中村(なかむら),三春(みは る),磐城平(いわきたいら),泉(いずみ),棚倉(たなぐら),湯長谷(ゆながや)の十県が生まれましたが,まもなく会津 地方が若松県,中通り地方が福島県,浜通り地方が磐前(いわさき)県となりました。そして1876(明治9)年に,この3県 が合併し,現在の県域となりました。

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[3]福島県の位置
 福島県は東北地方の南部に位置し,北海道,岩手県に次ぐ広い県土を もっています。6つの県と接し,首都圏にも近い位置です。福島県から北緯37度30分線上を東へまっすぐ進むと太平洋を通っ て,アメリカ合衆国のサンフランシスコへとたどり着きます。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 県庁所在地の福島市は,中通り北部に位置しています。江戸時代から 養蚕(ようさん)と生糸(きいと)で全国的に知られ,明治に入っても,生糸の生産を経済的な背景とし,東日本では最初の日本 銀行支店誘致(ゆうち)を実現したり(明治32年),東北で最初の水力発電による点灯を行う(明治28年)など商業都市とし て発達しました。当時県内最大の都市は若松(わかまつ)でしたが,会津地方は交通が不便であるとともに,朝敵藩の名残をなる べくなくそうとする政府の方針があったこと,県のほぼ中央に位置し,宿駅(しゅくえき)として成長しつつあった郡山(こおり やま)は,それほど大きくないなどの理由もあって,福島に県庁が置かれたといわれています。その後,安積開拓(あさかかいた く)事業で活気づく郡山との間で,県庁移転問題が起こることになります。

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[5]何でもお国自慢
 太平洋岸に沿って南北にのびるのが浜通り地方。奥羽(おうう)山脈 と阿武隈(あぶくま)高地にはさまれ,阿武隈川が南北に貫通(かんつう)する中通り地方。奥羽山脈の西側に位置し,猪苗代 (いなわしろ)湖を擁(よう)する会津地方。この三地方の気候的風土には大きな違いがあり,多様性に富んだ県土といえます。
 果樹・野菜の栽培(さいばい),会津漆器(あいづしっき)や大堀相馬焼(おおほりそうまやき)などの伝統工業が有名です。 近年,東北新幹線,東北・常磐(じょうばん)・磐越(ばんえつ)自動車道の開通,福島空港の開港など高速交通化が進み,首都 圏からの企業の進出がめざましく,工業生産額は東北トップの地位にあります。また浜通り中部には,日本有数の原子力発電地帯 を有しています。磐梯朝日(ばんだいあさひ)・日光(にっこう)国立公園など美しい自然や相馬野馬追(そうまのうまおい)な どの祭り,伝統行事も数多く,観光資源も豊富です。本県を代表する人物としては,自由民権運動家の河野広中(こうのひろな か)(三春(みはる)町),黄熱(おうねつ)病の研究で有名な野口英世(のぐちひでよ)(猪苗代(いなわしろ)町),世界的 な歴史学者である朝河貫一(あさかわかんいち)(福島市)などが有名です。

 


   

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