山形県
県章:
  県の 山々を三つの三角形で表し,同時に最上川の流れをも表す。
面積:
  9,323.46(km2)
人口:
  1,155,942
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の魚:
県の獣:
  ベニバナ
サクランボ
オシドリ
サクラマス
カモシカ
地図

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[1]県名の由来
 10世紀後半頃の『和名抄(わみょうしょう)』という日本初の漢和 辞典に,「最上郡(もがみぐん)山方郷」という地名があります。当時は,現在の村山地区を「最上郡」,最上地区を「村山郡」 と呼んでいました。「山方郷」は,いまの上山(かみのやま)市付近であるという説があります。ここから,私たちの「山形」と いう地名になったといわれています。「山のある方」という意味であろうともいわれています。また,「山形県」という名は,山 形藩の領地と村山地区の幕府の領地を合わせて,1870(明治3)年9月にできた県の名として初めて出てきます。 1871(明治4)年に廃藩置県(はいはんちけん)が行われますので,いち早く「山形県」が設置されたことはとてもめずらし いことでした。

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[2]境界線の策定にまつわる話
 現在の山形県の形は,人の横顔の形をしていますが,この形になった のは,1876(明治9)年8月のことです。当時,庄内地区を酒田県,村山地区を山形県,置賜(おきたま)地区を置賜県と呼 んでいましたが,統一されて大きな山形県となりました。はじめ酒田県には,秋田県南部の由利郡(鳥海山の北部)・仙北郡(新 庄の北部)などが含まれていました。しかし県庁を山形にすると遠すぎるとのことで中央政府に願い出て,現在の県境となったよ うです。三つの県を一つに県にすることは,大変なことです。江戸時代までは,それぞれ藩に分かれ,人々の生活のしかたも,か なり違っていたからです。しかし,東京にいた右大臣岩倉具視(いわくらともみ)は丹羽賢(にわまさる)という人に,東北地方 を視察させ,とくに,ワッパ騒動などが活発に展開されたこともあり,早く統合をすべきだという意見を得て,実施されたようで す。初代県令には,鹿児島出身で大久保利通(おおくぼとしみち)とよく通じていた三島通庸(みしまみちつね)が任命されてい ます。

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[3]山形県の位置
 山形市は,東経約140度22分,北緯38度14分です。山形から 真南に行くと,千葉市を通り,太平洋に出ます。さらに南に行くと,怪獣(かいじゅう)の形をしたニューギニア島の中央を通り オーストラリアのやや東部に行きます。さらに,動物の楽園,タスマニア島の近くを通り南極に出ます。一方,山形から真西に飛 行機で旅すると,朝鮮半島では,北と南の国境線に行き,さらに,中国の黄河口を通り,中央アジアの乾燥(かんそう)地帯を経 て,世界一大きな湖カスピ海に出ます。さらに西に行くと,オリンピックの始まったギリシャの首都アテネに行きます。そして, 長靴(ながぐつ)の形の国イタリアの足の先のあたりを通り,スペイン南部を経て,日本に鉄砲をもたらしたポルトガルの首都リ スボンを通ります。その後大西洋を通り,アメリカ大陸へ着くと首都ワシントンに行きます。さらに,山形県と姉妹州のコロラド 州にも行きます。最後に西海岸では,サンフランシスコが同緯度です。

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[4]県庁所在地の位置と名称
 現在の山形市周辺は,江戸時代には小さな大名の領地と幕府の領地が 混在し大きな権力がないため,明治の新政府は,ここに県をつくり,県庁を置くように考えたといいます。

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[5]何でもお国自慢
 母なる大河,最上川(もがみがわ)が県全体を流れ,樹氷の蔵王(ざ おう)山,信仰の月山(がっさん)・湯殿(ゆどの)山・羽黒山,自然ゆたかな朝日岳・神室(かむろ)山・鳥海(ちょうかい) 山などに囲まれた中に,果樹王国山形は全国のおうとう74%・西洋なし59%,伝統工芸の将棋駒90%以上を生産し全国トッ プです。また世帯の人数平均3.45(1995年)人,老人のいる世帯の割合47.01%も日本一で,犯罪検挙率もトップ で,最も安全な県ともいえます。人情が細やかで勤勉,誠実な県です。平均年齢の若さ(38.3歳)が全国一位になっていま す。

 


   

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