宮城県
県章:
  みや ぎの「み」と県花「ミヤギノハギ」を図案化したもの。
面積:
  7,285.80(km2)
人口:
  2,318,692
県の花:
県の木:
県の鳥:
県の獣:
  ミヤギノハギ
ケヤキ
ガン
シカ
地図

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[1]県名の由来
 1871(明治4)年の廃藩置県(はいはんちけん)で置かれた最初 の県名は,仙台県でした。
 翌年(明治5年),仙台県は宮城県と改められ,その県名が現在に至っています。県名が変更されたのは戊辰(ぼしん)戦争で 旧幕府側につき,朝敵となった旧藩名の「仙台」を避(さ)けたためと考えられます。
 新たな県名「宮城」は,「宮城郡」から採られました。宮城郡は,奈良時代,陸奥国(みちのくのくに)(福島県〜宮城県)の 北辺として仙台平野のほぼ中央部に置かれた郡です。7世紀後半〜8世紀,陸奥国は,朝廷の勢力と朝廷の支配には入らない勢力 (蝦夷(えみし))が混在する国境地帯でした。宮城郡には,陸奥国の政治的・軍事的拠点(きょてん)となる多賀城(たがじょ う)や陸奥国分寺が置かれ,陸奥国の中でも重要な意味をもつ郡となりました。
 「宮城」の由来には,様々な説があります。宮なる城の所在地,つまり「遠(とお)の朝廷(みかど)」(宮)といわれた多賀 城(城)が置かれたことから宮城とする説。宮(奥州(おうしゅう)一の宮,塩竃(しおがま)神社や陸奥国分寺)と城(多賀 城)が置かれたことから宮城とする説。「屯倉(みやけ)」(建造物などを含めた朝廷の耕作地)が「みやき」となり,これを宮 城とする説などです。

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[2]宮城県の範囲が確定するまで
 江戸時代,仙台藩は,宮城県から岩手県南部にかけて62万石を有す る雄藩(ゆうはん)でした。しかし,戊辰戦争で旧幕府側につき敗北,領地を28万石(名取郡,宮城郡,黒川郡,加美郡,玉造 郡,志田郡の一部)に減らされます。そして,1869年〜1871年の間に,旧仙台領には,仙台県,白石県(後に角田県), 登米(とめ)県,石巻(いしのまき)県等の県が置かれました。やがて,角田県は仙台県に統合され,仙北も仙台県(志田郡,遠 田郡,桃生(ものう)郡,牡鹿(おしか)郡)と一関県(玉造郡,登米郡,栗原郡,本吉郡)に統合されました。1872年,前 述の通り仙台県は宮城県と改められます。その後も,岩手県や福島県との間に管轄(かんかつ)の統廃合(とうはいごう)を繰り 返し,1876(明治9)年になって現行の行政区域が確定しました。

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[3]宮城県の位置
 宮城県は,緯度上では北緯37度46分から39度にかけて位置して います。これは,朝鮮半島では韓国と北朝鮮の国境,ギリシャやイタリアのシシリー島,アフリカ大陸最北部,スペインやポルト ガル南部,北アメリカ大陸ではワシントンやサンフランシスコとほぼ同じ緯度にあたります。

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[4]県庁所在地・仙台
 仙台の発展の礎(いしずえ)を築いたのは,伊達政宗(だてまさむ ね)です。関ヶ原の戦いで徳川方についた政宗は,家康から加増の約束をもらいます。そこで,新たな城下が必要となり,選んだ 地が「千代(せんだい)」でした。政宗は,これを「仙台」と改め,城下町仙台を築きました。
 現在,仙台市は,政令指定都市の指定を受け,人口も100万人を突破しました。市内には国の諸機関や企業の支店が置かれ, 東北の政治,経済,文化の中心地として発展しています。

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[5]宮城のお国自慢
 宮城県といえば,「ササニシキ」「ひとめぼれ」等,おいしいお米の 産地として有名です。また,気仙沼(けせんぬま),女川(おながわ),石巻(いしのまき)などの漁港を有し,漁業の盛んな県 でもあります。近年では,養殖(ようしょく)漁業・栽培(さいばい)漁業も盛んに行われています。
 他にも,全国的に名の通ったものとして,日本三景・松島,仙台七夕祭り,宮城伝統こけしや雄勝硯(おがつすずり)等の工芸 品があげられます。

 


   

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