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青森県は,中央を走る奥羽(おうう)山脈によって,東西に二分され
ます。東側を南部地方,西側を津軽地方と呼びます。この二つの地域は,江戸時代,それぞれ南部藩,津軽藩によって治められて
いました。明治時代になると,諸藩は整理統合され,新たに「県」が置かれます。その頃の青森県域には,津軽藩[弘前(ひろさ
き)・黒石(くろいし)],南部藩[八戸(はちのへ)・七戸(しちのへ)]などがありましたが,これらに北海道の一部を加え
て,1871(明治4)年,一つの「県」になりました。各地域を治めるにあたって,地理的に偏(かたよ)りがなく,北海道と
の連絡に都合のよい,港町「青森」が県政治の中心地となりました。こうして「青森県」が誕生したのです。
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秋田県との県境に十和田湖があります。周囲は約40km,美しい紅
葉の名所として知られていますが,実は,湖面における青森・秋田両県の境界がはっきりしていません。江戸時代,十和田湖は盛
岡南部藩領にありましたが,明治新政府の廃藩置県(はいはんちけん)によって,湖の一部を含む鹿角(かづの)郡が秋田県に編
入されました。そこで混乱が生じてしまったのです。明治年間には,両県が県境決定会議を開き,湖観光の中心になっている「休
屋(やすみや)」付近から北方向対岸にある御鼻部山(おはなべやま・標高1,010.3m)を見通す線が境界とされ,一応の
妥協(だきょう)が図られたといわれています。しかし,現在も地図上の十和田湖面には県境が記されていません。
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青森県は本州の最北端(さいほくたん)に位置し,東は太平洋,西は
日本海,北は津軽海峡と海に囲まれています。津軽海峡に突き出る二つの半島(津軽半島・下北半島)のうち,まさかりのオノに
たとえられる下北(しもきた)半島の突端(とったん),大間崎(おおまざき)には「ここ本州最北の地」と書かれた標識が立っ
ています。一年中強い風が吹きつけるこの岬からは,晴れると北海道の山々を望むことができます。
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青森県域のほぼ中央に位置し,青森湾に沿って東西に細長く開けた青
森市が県庁所在地です。江戸時代の寛永(かんえい)年間,津軽藩は,江戸に向けて米を運搬(うんぱん)するために東回り航路
の拠点(きょてん)として,青森に港を開きました。小さな漁村は,一転して津軽藩最大の港となり,城下町弘前(ひろさき)に
次ぐ都市へと発展していきます。幕末になり,北方警備の必要性が高まると,青森港はますます,重要な位置を占(し)めるよう
になります。こうした地理的海運の条件のよさなどから,県庁所在地になりました。地名は,市の中心部にあった一年中青々とし
た松が生い茂る小高い丘陵(きゅうりょう)「青森山」に由来するといわれています。
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青い海と青い森,豊かな自然に恵まれた青森県,特に県南西部に位置
する白神(しらかみ)山地は世界最大級のブナの天然林とその生態系が残る地域として,世界遺産(自然遺産)に登録されていま
す。白神岳を始めとする1,000m級の山々が連なり,ニホンカモシカやニホンザル,クマゲラ,そして,この一帯にしか分布
しない昆虫や植物も生息しています。また,青森県は縄文時代の遺跡(いせき)の宝庫といわれます。クリの巨大木柱の発見とと
もに,全国最大級の縄文集落跡として注目をあつめた青森市三内丸山(さんないまるやま)遺跡をはじめ,芸術的ともいえる美し
い土器や精巧な木製品,漆塗り製品が発見された木造町亀ケ岡(かめがおか)遺跡や八戸市是川遺跡など,縄文時代の人々の優れ
た技術を物語る遺跡が数多くあります。
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