花ちゃん・オー君・モンタ博士のてくてく自然散歩シリーズ


 昆虫採集は科学のはじめの一歩
見てくれ,見てくれ,モンシロチョウにスジグロシロチョウ,そのほかにも,キチョウもゲットできたんだ。すごいだろ。」
うわー! すごい。さすがは虫博士ね。でも,そのチョウをどうするの。」
そうだな? どうしようかな?」
どうしたの? うわあー! たくさんチョウをとったね。」
このチョウをどうしようかとお話ししてたの。」
そうだな。チョウをとるだけでも楽しいけどね,もう少し科学的にいろいろと調べてみるのもおもしろいよ。」
科学的に? どうするの?」
特別にむずかしくはないよ。例えば,いつ,どこで初めて見たとか,採(と)ったとか。それだけをノートに書いておくだけでもいいんだよ。それをまとめると,チョウチョのカレンダーができるね。そうすれば,もうりっぱな研究になるよ。挑戦(ちょうせん)してみるのも楽しいね。それから,標本を作るのも科学の第1歩だと思うよ。」
でも,モンタ博士。チョウの標本を作るのって,なんだかかわいそう。お母さんにいつも,生き物を大切にしなさいと言われているし……。」


そうだね。むやみに採ったり,きずつけるのはよくないけどね。自然を守るということは,いったいどういうことなんだろうね。そこを考えてみようよ。
何も知らないで,虫は気持ちが悪いから,見るのもさわるのもいやでは,本当の自然の姿は見えてこないよ。何という名前のチョウかをしっかりと調べ,しっかりとした標本を作り,そのチョウの生態(せいたい)といって,生きているいろいろな様子を知ることが本当の自然を守るということだと思うんだけどな。チョウチョはそのうち羽もぼろぼろになってしまうけど,標本にしておくと,いつまでも,その美しいすがたを残せるしね。標本づくりは,チョウに第二の命をふきこむことなんだよ。」
ふーん。ちょっと分かったような,分かんないような……。」
ぼく,よく分かったぜ,ようするに,チョウを採ることは,悪いことじゃないということだよね。モンタ博士!」
そうだよ。あわてて分からなくてもいいよ。それよりも花ちゃんもオー君も自然の世界を知るということは,とってもすばらしいことなんだよ。このことは,よく覚えておいてほしいね。」
でも,モンタ博士。チョウを採ることは,自然破壊(はかい)につながるんじゃないの。チョウを採ると,私たちの周りの自然がなくなっちゃわないの。」
自然破壊ね。むずかしい言葉を知ってるね。それは,またゆっくりとお話ししてあげるね。」
昆虫学者の矢島稔さん(元多摩動物公園の園長)のお話より
 生き物について,「命を大事にしよう!」とか,「自然を大切に!」とか,よく聞かれる言葉であるが,よく考えてみると,これは大人の側からの論理があまりにも幅をきかせているのではないだろうか。ある程度成長した大人にとっては,その人なりの価値観があり,生命観とかができていて当然である。しかし,幼児や小学生などの子供は動く物に対して反応するのであって,ありの行列があると,踏んでみたり,邪魔をしてみたりすることが多く見られる。なんと残酷なことをするのかという人がいる。しかし,それは,生きているということがはっきりと分かっていないからではないかと考えられる。つまり,その行動はなんとなく面白いからなのである。でも何か人間の心の中には,人格形成の初期にそういう反応をしてみたいという,結果的に大人がみると何と残酷なというが,それは,人間が通らなければならない関門であると考えられる。虫を殺してはいけないよ,草花を取ってはいけないよといって,手をこまねいて,手を出さないようにしてきたのは,それは間違いであると断言して良いと思う。なぜならば,それと取り組みあったり,飼ってみたり,だけど,死んでしまった。あるいは,遊びとして,トンボの羽をとって飛ばしてみた,だけど,必ず心の奥底には罪悪感が残り,悪いことをしてしまったというものが残るはずである。そういうものが子供の心の中にちゃんと刻み込まれているのである。ぼくの世話の仕方が悪かったからだとか,こんどからはむやみに虫をころさないようにしようとか。そういうものが心のどこかに絶対に,感性のどこかに必ず響いているのである。そういう経験を通ってきてこそ,生命というもの,虫や草花などの生き物というものが分かってくるのではないか。



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