1.身近な自然の観察
(4)生物と日本人のかかわり
2.植物の世界
(3)被子植物(双子葉類)のなかま
(640)和紙の材料(ミツマタ・ガンピ)
「やあ! 花ちゃん・オー君! 元気かな。」
「はい、もちろん元気です。このごろ、暖かくなってうれしいなあ。」
「わたしも元気です。お外でてくてく散歩するのも楽しい季節になりますね。」
「そうだね。この前ね、てくてくしていたら、こんなお花がさいていたんだ。」
「黄色いお花ですね。3つさいているね。花ちゃん! 見たことある?」
「わたしも初めてのお花です。よく見ると、小さな黄色いお花がたくさん集まっているように見えますね。」
「そうだね。それでは、写真の白い丸い線でかこってある所をよく見てごらん。どうなっているかな。何か気がつかないかな。」
「枝が右の下からのびていて、枝が白い〇の中で、分かれていますね。」
「いくつに分かれているかな。よく見てごらん。」
「えーっと、1つ、2つ、3つ⋯⋯3つに分かれています。」
「そうだね。3つに分かれているね。ところで、2つに分かれることを、『ふたまた』とかいうよね。それでは、3つに分かれていたら?」
「『ふたまた』ではなくて、『みつまた』ですね。」
「あっ! 思い出したわ。この植物はミツマタですね。」
「そのとおり。これはミツマタという植物だよ。」
「へえー。そうなんだ。おもしろく覚えやすい植物ですね。ところで、どんな所に生えているのですか。」
「もともとは、中国の木でね。お庭などに植えてあるよ。」
「それで、どうしてミツマタのお話なのですか。」
「この前さ、和紙のお話をしたよね。記憶に残っているかな。」
「思い出しました。和紙の原料は、コウゾのほかにミツマタやガンピ、という植物を使うのですね。」
「そうだよ。そしてね、このミツマタという植物の樹皮からは、日本のお金の紙幣を作るんだよ。」
「紙幣って、あの1000円札、5000円札、10000円札ですか。ぼくのさいふの中は、いつもジャラジャラのコインしか入っていませんが⋯⋯。」
「モンタ博士のさいふの中は、お札しか入っていないよ、というのは夢のまた夢だけど、どうしてミツマタはお札に使うのかな。おっと、その前に。お札って、どんな特徴があるかな。」
「みんなが使うものですね。ずうっと自分のさいふの中にあってほしいけど、買い物をすると、無くなっちゃうね。」
「そうね、無くなっちゃうと言うよりも、次から次へといろいろな人が持つのがお札ですね。」
「つまりね、たくさんの人の手にわたるということは、しっかりがんじょうでないとダメということですね。」
「分かりました。そこで、ミツマタが登場ということですね。」
「そのとおり。お札はミツマタの木の皮を使うということだよ。」
「それだけミツマタというのは、じょうぶで長持ちするんですね。」
「そうだよ。ミツマタでお札を作れば、こすっても折り曲げてもだいじょうぶなんだ。もともと日本になかった木だけど、お庭などに植えられているよ。」
「お札を作る材料として、ミツマタを使うのは分かりましたが、どこかで栽培しているのですか。」
「2016年の時点では、島根県、岡山県、徳島県などで作られて、国立印刷局という所に納めているということだよ。」
「なるほど、それらの県で大切なお札のもとを作っているんですね。」
「どころがね、最近は過疎化や農家の高齢化、さらに後継者不足などで、日本だけでは間に合わなくて、ネパールや中国などからもミツマタをたくさん輸入しているそうなんだ。」
「そうなんですか。いろいろと問題もあるんですね。」
ミツマタとガンピという樹木について
日本にミツマタが入ってきたのは、室町時代の終わり頃と言われています。現在ではお札の材料として無くてはならないものですが、明治の始めころは、ガンピ(雁皮)という木の皮から和紙を作ったそうです。
しかし、ガンピというのは、栽培が困難であるために、栽培が容易であるミツマタを原料として研究を重ねて現在に至っています。また、日本銀行券(お札)の他に、株券など重要な文書にもミツマタを使用する場合があるそうです。
なお、ガンピ類の樹木は、ほとんどが西日本に多く繁茂するものであり、あまり目にすることがない植物です。ガンピの分布は東限が静岡伊豆地方辺りで、キガンビは近畿以西で、青ガンピという種は、南西諸島など沖縄などに自然状態で繁茂しています。
沖縄西表島の子供たちは、卒業証書を自分の手で漉いた紙を、自分の卒業証書にするという記事を読んだことがあります。野生のガンピを採って蒸して柔らかくし、皮をはぎ水につけ砕きどろどろにし、それを簀桁という用具ですくいあげるそうです。この活動は、西表島でガンピ栽培を研究している人がサポートしながら教えると記事にありました。古くから珍重されてきた沖縄ガンピ紙は、こうして子供たちによって蘇りつつあるとのことです。形のないものから、あるものが生まれてくる瞬間の驚きや感動から、子供たちは多くのことを学ぶのだと思います。