1.身近な自然の観察
(4)生物と日本人のかかわり
(5)自然観察・実験のてびき
(511)菅原道真とは?
「うわあー! 菅原道真さんだ。」
「今日は,ぼくたちのために来てくれてありがとうございます。」
「みんなに会うことができて,とてもうれしいね。それでは,今から『何でも質問会』をやりましょう。」
「それでは,小さいころの『みちざねさん』は,どんな子だったのですか。」
「詩や文章を書くのが好きだったね。」
「テストとかもあったのですか。」
「国家試験というのがあってね,それに合格したんだよ。」
「それって,けっこうむずかしいのですか。」
「そうだね。『方略試』というもので,200年間に合格した人は65人しかいないという,超むずかしい試験なんだよ。」
「へえー。すごいですね。『みちざねさん』は天才なんですね。」
「そうではないよ。一生懸命に努力してお勉強したんだよ。」
「その後,『みちざねさん』はどうしたのですか。」
「文章博士といって,今で言えば,先生のような仕事をして,その後,知事さんのような仕事もしたんだよ。」
「すごいですね。その後はどうされたのですか。」
「その後,都に帰ってからは,天皇中心の政治をおこなうために,権中納言,権大納言,そして,右大臣となって,がんばって仕事をしたのさ。」
「すごいですね。政治の世界でも大活躍したんですね。」
「ところがね・・・。」
「ところが,どうかしたのですか。」
「無実の罪をきせられて,九州まで流され,死んでしまったんだ。」
「無実なのに,本当にくやしかったでしょうね。」
「その後,いろいろと悪いことがおこって,私の怨霊(うらみをもって死んだ霊)のたたりだとうわさされてね,そのたたりをしずめるために私を神としてまつったのが,天満宮のはじまりさ。それからは,私のことを天神様というようになったのさ。もともとは,農業の神として雷神をまつるものだったらしいよ。」
「なるほど,そういうことですか。」
「それでね,学問の才能にすぐれていたので,『学問の神様』・『受験の神様』になったというわけさ。」
菅原道真の詩文
道真の詩文は「菅家文草」と「菅家後集」にまとめられている。菅家文草は12巻で900年に成立。菅家後集は1巻で903年頃成立。菅家後集は道真が太宰府に左遷された後,この地で死ぬまでの作品を集めて友人の紀長谷雄に送ったもの。道真はまた,六国史の一つである「日本三代実録」編修にも参加しており,歴史資料集である「類聚国史」もあらわしている。